更新日:2021年8月18日
下水道整備以前?
町制より長い下水道のあゆみ
北谷の公共下水道は、1971年に字浜川の一部を排水区域としてスタートし、今年で50周年を迎えました。
1971年といえば、沖縄本土復帰の前年になります。
そして当時の北谷は「北谷村」。「北谷町」として村から町へ移行したのは1980年のことで、昨年2020年が町制40周年の節目でした。
北谷「町」よりも沖縄本土復帰よりも歴史ある北谷の公共下水道50周年。その半世紀の「歴史のにおい」を感じてみませんか?
下水道の整備以前は?
1970年当時の下水道事業計画に関する公文書を確認すると、
「汚水排除の施設は皆無に等しく大部分が、昔ながらの吸取便所に頼っている現状である(原文ママ)」
「外人向け貸住宅や一部村民の家庭ではし尿浄化槽があるが、使用上の不備等から附近の水質汚染の結果をまねいたり、或いは家庭台所の雑水を、そのまま街路側溝へ放流していることから汚物の沈殿等もあって側溝等の排水は良好でないばかりか環境衛生上好しくない(原文ママ)」
との記載があります。
道路側溝に生活排水を流すと道路側溝から嫌な臭いが漂ってきますし、海も汚れてしまいます。そればかりか、病気を引き起こす菌やウイルスが空気中を漂って感染拡大を引き起こす可能性すらあります。
このような状況を改善するため、北谷の公共下水道事業はスタートしました。
琉球列島米国民政府や琉球政府によって整備がすすめられた「統合下水道(現在の流域下水道)」が北谷村内を通っていたことも、北谷村が下水道整備を推進する要因の一つになったようです。
1971年供用開始!
本町の公共下水道は、沖縄の本土復帰前である1971年5月6日から整備工事が始まり、同年の8月24日、字浜川の一部を排水区域(0.492ヘクタール)として供用開始が告示されました。
当時の工事写真を見ると、未舗装の道路をショベルカーで開削し、下水道管を設置している様子が確認できます。
ちなみに初の下水道工事の請負金額は134,180「ドル」でした。
供用開始した翌年4月には、供用面積は27.0ヘクタールへと拡大しました。
この時点での使用人口は35人、管渠延長は6.3キロメートル、人口普及率(行政人口に対する使用可能人口の割合)は0.3%、接続率(使用可能人口に対す使用人口の割合)は26.5%でした。
工事写真1
工事写真2
工事写真3
工事写真4
1期工事の契約書抜粋
拡大写真はこちらから(別ウインドウで開きます)
工事写真1(画像:818KB) 工事写真2(画像:761KB) 工事写真3(画像:767KB) 工事写真4(画像:977KB) 契約書(画像:3,006KB)
町の発展とともに
沖縄本土復帰後、町域の米軍施設の返還や公共水域(海)の埋め立てに伴う急速な発展とともに下水道整備も進められ、下水道の人口普及率(行政人口に対する使用可能人口(排水区域内の人口)の割合)は急激に上昇していきました。
下水道の供用開始の告示がされると、対象地域の土地所有者(または使用者、占有者)には下水道法の定めにより、下水道に接続するための排水設備を整備しなければならない義務、いわゆる「接続義務」が発生します。
幸いなことに、下水道接続への町民の皆様の多大なご理解とご協力をいただき、下水道接続率(使用可能人口に対する使用人口の割合)も順調に上昇してまいりました。
開始翌年度の昭和47年(1972年)度末と令和元年(2019年)度末の状況を比較すると、次のとおりになります。
項目名 |
昭和47年度末 | 令和元年度末 |
---|---|---|
行政人口 | 11,239人 | 28,332人 |
使用可能人口 | 3,225人 | 28,440人 |
使用人口 | 350人 | 27,609人 |
人口普及率 | 28.69% | 98.64% |
接続率 | 10.85% | 97.08% |
年間排水量 | 17,468立方メートル | 5,789,239立方メートル |
使用人口はこの間350人から27,609人へ約78.9倍に、排水量は約17,500立方メートルから約5,800,000立方メートルへ約331倍に拡大しました。
下水道普及状況グラフ
グラフ内で接続率が大きく低下する場合があるのは、新たな供用開始の告示によって使用可能人口が急増した影響によるもの。