更新日:2024年11月11日
北谷城跡の概要
北谷城跡全景(西側より)
名称:「北谷城跡」(ちゃたんじょうあと)
指定日:令和3年(2021年)3月26日
指定種別:史跡の部 二
(都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡)
指定地:沖縄県中頭郡北谷町字大村城原332番地外
北谷城跡の解説
北谷城跡は、沖縄本島中部の西海岸沿いの北谷町に所在する東西約500メートル、南北約165メートル、標高約44メートルを最高所とする舌状丘陵に築かれた城(グスク)跡です。また、北谷城跡は、13世紀後半から16世紀前半にかけて、中山の拠点にもなっています。かつては、麓まで海が迫り、防衛と交易に適した立地であったと想定されています。
城の造営に関わった按司に関する明確な記録はないが、金満按司や大川按司、谷茶按司の三系統の興亡があったとの伝承が残っています。城跡は丘陵中央の最高所の一の曲輪をはじめ、5つの曲輪と2つの平場からなり、各曲輪は主に琉球石灰岩を用いた切石積みや野面積みの石垣の城壁で囲まれ、石垣がない場所は切岸となっています。
北谷町教育委員会によるこれまでの発掘調査の結果、一の曲輪では平場と切石積みの石垣を、二の曲輪では平場を囲む野面積みの石垣と殿舎に伴う基壇や、四の曲輪の南東側では石垣と城門等が検出されています。出土遺物は、中国産陶磁器や在地産の土器(グスク土器)などを主体に鉄鏃や、石弾等の武具が出土しています。城跡の変遷は、曲輪内が造成された前期(13世紀後半から14世紀)、石垣や殿舎が築かれた中期(14世紀から15世紀中頃)、廃城となった後期(15世紀中頃から16世紀前半)と考えられています。
このように、北谷城跡は、自然の地形を巧みに取り込みながら堅牢に築かれ、沖縄本島内のグスクが集約されるなか、中山における北方の要として琉球国の成立後まで存続し、その成立過程の一端が解明できる拠点グスクとして貴重です。
北谷城跡への立ち入りについて ※許可なく立ち入りはできません
北谷城跡は、去る令和2年3月31日に返還されたキャンプ瑞慶覧(施設技術部地区内の倉庫地区の一部)に所在していたことから、現在は沖縄防衛局の管理の下、支障除去作業(米軍基地として使用されていた時期に造られた構造物の撤去等)が行われており、立ち入りについては制限がございます。
なお、城内に所在する拝所での拝みについては、従来と変わらず北谷町役場3階の基地・安全対策課にて米軍基地立入申請を行い、許可を受ければ立ち入り可能となります。
北谷グスク内の拝所について
お問い合わせ
北谷町教育委員会 文化課
沖縄県中頭郡北谷町桑江一丁目1番1号
電話:098-936-3159
FAX:098-926-2871
