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3逃げまどう人々 戦争とはなにか

更新日:2016年12月1日

 それから、もうずっとジャングル生活が続きます。ちょうど島の北側の所にバナデルという所があります。このバナデルが、サイパン戦の最後の地点になります。このバナデルを覚えていてください。そこの近くまで来ると、さすがに両親もですね、これではもう終わりだと思ったんでしょうか。持っていたお金を家族全部集めて、広げて皆に貧しい生活をして悪かったと。だが、今ここにこれだけのお金があります。欲しい人は貰ってくださいというのです。ですが誰も貰う人いませんよね。追われている身で使うところもありませんから。誰も貰わない。その時にですね、ジャングルの中ですが、結局後方から火をつけられて、そこにたくさんの避難民がいたわけです。我らだけじゃなく、他にも民間人が非難していて、そこへ米軍は火をつけたんです。火であぶられて、バンと避難民が全部出てきたわけです。そのジャングルから出てきたら、そこで待ち受けていたのはいわゆる米軍の機関銃。米軍は横一線に列をなし、機関銃を添えていて、それで出てきた者をみんな撃ったんですね。
 沖縄県の出身かと思いますが、名前からして多分そうだと思います。桑江という中尉がいましたけども、旧日本軍は将校になると日本刀を持っているわけです。それで日本刀を抜いて「逃げろー逃げろー」とみんなをリードして、僕がその中尉の後について、僕の弟がその後。そしてその後に父が。そしたら、後ろで「お父さん助けてー」と声が聞こえるのです。それはまさしく妹たちの声でした。「お父さん助けてー、助けてー」と。そしたら親父は、僕にとにかく、僕の弟は興信といいますが、興信を頼むようといって、親父は戻ったんです。子供たちのところに。そして僕らはそのまま逃げたんです。逃げて10メートル程走った所で、この桑江という中尉が、天皇陛下万歳といって倒れていきました。
 僕達は駆けてジャングルの中に入って、もう2、3日も飲まず食わずですからどうしても水が欲しいですね。それで雨の後ですから、ちょっとした側溝みたいな溝みたいなところからころころっと水が流れているんです。それで、あー助かったぁ神の導きだと。それで頭を小川に、突っ込んで飲もうとしたら臭くて、水が赤いんです。それで周囲を見ると、とにかく兵隊がこうして血を流しながらそこで死んでいる。この死体をさけて更に上に行けば、ひょっとしたらもう少し良いきれいな水があるのかなぁと、上に行くと、そこもずっと水は血のにおいと、腐ったにおいがして水は赤いんです。上に行けば行くほど死体が全部、川に頭を突っ込んで血を流している。それでどうしよう、どうしよう・・・とうろちょろしているうちに、ふと盛った土の上に一つの遺体があるのです。この遺体は結局自決なんです。手榴弾(しゅりゅうだん)というのがあって、手榴弾(てりゅうだん)とも言いますが、だいたい直径が5センチ~7センチ。だいたい5ミリ間隔にみぞが彫られていて、爆破するとこの鉄製が全部散って、360度の角度に散っていって殺傷するようになっているんです。これが手榴弾です。この遺体は兵隊だと思うんですが、胸に手榴弾を抱いて自決しているんですね・・・。そうすると、この手榴弾は360度に向かって爆発するものですから、この遺体の腸物を全部えぐり取って、そして手が、この辺から(腕)は全部肉がなくなって骨だけがこうしてあって・・・そこに降った雨がたまって、この水飲めるかな?飲めないかな?という話しがあるわけです。だが人間の血、動物の血全てだと思いますが、一番早く腐るんですね!もう、この・・・この自決した兵隊の腹のところに溜まった水は、何時間経ったのか分かりませんが、もう臭くて、赤く染まっていて、とてもじゃないけど飲めたもんじゃない。そういうところでも、のどが乾いているからどうしても水が欲しいわけです。この小川というのはどこまで行っても赤い血なんです。で、しょうがないですから草の葉や木の葉から落ちてくる雫をですね口に入れて喉の渇きをいやし、そこからずっと海岸線の方に逃げていくんです。
弟と二人で海岸線の所で避難していると、海が見えるんです。岩陰に隠れていると、木の葉がチラチラ吹雪のようにして散るんです。何だろうか?そばにあった木を上にあげてみるとこの木が、ポコッポコッとけずられていくんです。船から撃ちこんでいる弾なんです。だからそれを知らないでポット立ったら、恐らく僕自身も首からスポット弾に斬られて、今はなかったと・・・いうようなことだと思います。
 それで、弟をそこに置いて、親父たちを探そうと思って山へ行くと、結局ジャングルの中をさ迷っていくと、子供が泣いているのです。おんぶされた子供です。男の子なんですが、母親はうつ伏せにしているんです。そばにいた兵隊が子供を泣かせると駄目じゃないかー!といって怒鳴って、言うのですが、この母親は動かないんです。この兵隊がどうしたのか?と動かしたら、母親は首の当たりを撃たれて死んでいるんです。でこの子どもをどうするか?って話しになって、この兵隊が帯を外して、泣いていたらどうしても敵がきますから、その泣かさない方法を考えないといけないという事で、この死んだ母親のお乳を出して子供に吸わせるんです。そしたら、どのくらい泣き止んだでしょうかね?もちろん死んでいる母親ですから、おっぱいが出るわけありませんね!そしたらまた泣き始める。それで後は静かになったんですけど、その後どうなったのか確認はしておりません。

 バナデルという断崖絶壁があるのですが、そこはだいたい標高249メートル。多くの民間人も兵隊もそこへ追い詰められてしまって、そこから全部飛び込み自殺するんです。なぜ自殺をするのかといいますと。これはいわゆる日本軍の戦前の教育そのものが、軍国主義という状況で軍隊教育をやっていて、米兵鬼畜という言葉で、もしアメリカ人・米兵に捕虜になったら、女の子はレイプされて殺される。それから男の子は耳を切り、手を切り目を潰されて戦車でひき殺される。だから絶対に捕虜になってはいけん!というそういう教育あるいは教宣をやったわけです。これは日本の軍隊がやったわけですが、じゃあ日本の軍隊はなぜ、こういう情報をもっていたのかというと、日本の軍隊はですね、中国あたり、あるいはフィリピン辺り、南方辺りでですね、こういう事をやってきたとききます。それを自分たちでやってきたことを米軍もやるであろうという前提で、そういう宣言をしているものですから、結局捕虜になったら大変だという先入観が頭から足の先まで、全部染み込んでいますから、全ての人がとにかく死というものを前提に動いているわけです。捕虜になるという事は考えない。

 結局じゃあなぜ叔父さんは生きているの?と疑問がわくと思います。それは、サイパンで戦争にあった人たちというのは、全部がどうせ死ぬのなら、おいしい水を腹いっぱい飲んでから死のう!ただその一念で生きのびて捕虜になったんです。

 だいたい早いのが6月の20日くらいには捕虜になっています。私は5カ月過ぎてだいたい11月の3日。ちょうどその頃は明治節と言って、明治天皇の誕生日を祝う祝日だったんですが、その日に私は捕虜になりました。そしてキャンプの収容所にくると、色の真っ黒い人がいまして、僕のことを親父たち皆がこうちゃんと呼んでいましたが、その黒い人が、こうちゃんか?というので、良く見たら親父なんですね!それから父に導かれて、母たちのいるテントの方へ案内されると、とにかく母も妹たちも畳半分くらいのダンボールの上で横になっているんですね。私が帰ってきた、生きていたことを一番喜んでくれるのが母だと思っていましたが、母は笑いもしない。ものも言わない。ただ黙って私を見つめるだけです。嬉しいこともないのだろうか?よくよく聞いてみると栄養失調で動けないんです。もう死の寸前なんですね。ものも言えない、動きもできない。笑いも出来ない。目も動かない。もう死の寸前まで栄養失調なんですね!まいっているんですね。最近県の教育委員会にある公文書館が、サイパンのキャンプススッぺという写真集英文のやつを翻訳してだしてますけども、これを見て非常に憤りを感じるんですね。あのチャモロ、朝鮮人のキャンプはものすごくきれいにしてて、日本人のキャンプはそれこそ劣悪で最悪なんです。それでだいたい15,000人くらいの人が収容されたんですが、収容された人の4,000~5,000人が栄養失調で亡くなっております。

 時間が過ぎましたので話しを飛ばしますけども、先ほどの広島長崎体験団の皆さんの話しを聞いて感動したんですが、何と言っても戦争はあってはいけないのだと。もし戦争があった時に、戦争に加わった人、参加した人、あるいは戦争に遭遇した人、親も子供も兄弟も妻も夫も全部人間でない、人間の顔をした悪魔になります。サイパンでも自分の愛する妻を殺し、そして子供を殺して・・・現在でもそのしこりを払拭出来ずに苦しみ悶えている人が沖縄でもたくさんいるんです。

 ですから、これから30年後あるいは西暦2030年には高校生の皆さんは多分40代くらいになっているでしょうか?社会のリーダーとして、あるいは子供も・奥さんも・家庭もある一人の社会人として居ると思います。そして、平和な生活があると思います。そういう中でもし戦争という事件が発生しようとするのならば、全生命をなげうってでも阻止しなければならないと思います。永遠に戦争という時代に遭遇しないことを、心からお祈りして私の話しを終わります。

 ご静聴ありがとうございました。

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沖縄県中頭郡北谷町字桑江226番地
電話:098-936-1234
FAX:098-936-7474

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