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2空襲のはじまり

更新日:2016年12月1日

それで、19年が来ます。19年の2月頃からサイパンに空襲が始まります。4月に空中戦があって避難している壕から、空中戦を見ていたのです。その空中戦でその1機が撃墜されるわけです。それで我々が避難している壕の、自然壕の近くの約500メートル位離れたところに撃墜されるわけです。我々は疑う余地はありません。敵機がやられたと手をたたいて万歳をしたんです。それで、すこし治まったので現場へ行ってみようといってみました。あに図らんや機体には日の丸があって、撃墜されたのは友軍機だということで全然思いを別の方向へめぐらして、その一帯を探していくと、皆さんスーパーへ行ったときに、ひき肉を買う時がありますよね。その人体が骨も肉もほんとに、1ミリ間隔でミンチになって、草や木の葉っぱに全部付着しているんです。そこを通って手に、何か変な臭いがすると思ってとってみたら肉なんですね。これが結局人間、パイロットが墜落したときに微塵に砕かれた肉が、肉片がそこにいっぱい付着しているわけです。結局、後で日本軍の憲兵が来て「なんでお前たちはここにいるんだ」と叱られて追い払われたんです。

 またしばらくすると空襲があるんです。自分の家の近くに機関砲隊というのがいまして、敵機がくるものですから機関銃で発射しているんですね。敵機を撃っているんです。そこへたまたま僕が居合わせたんで、おい坊主手伝えと言って「何をしたらいいんですか」とたずねると、砲台のそばにドラム缶があって、それにいっぱい水が入っているんですね。カマスがあってそのカマスを突っ込んで機関銃の銃口あたりにかぶせるというわけです。面白いことに、その機関銃は弾を撃っている間に真っ赤に焼けるんですね、だから冷やさないとその銃口がグルッと曲がってしまう。もう曲がってしまうと弾が出ないし、使い物にならないから、曲がらないようにカマスに水を含ませて冷している。これが日本の軍隊の武器なんですね。高射砲というのを聞いた事がありますか。高いところを飛んでいる飛行機を撃つ砲ですが、この高射砲でですね、そのぼんぼん、ぼんぼん撃っているんですね。敵機を。敵機を撃っているんですが、敵機がここら辺をブーンと飛んでいるんですが、高射砲の弾はポン、ポンと全くあたらないんです。まったくもう意味がない。これで果たして日本軍は勝てるのかなーというのを、その時初めて疑問符というのを抱きました。

 それで、もうだいたい19年、1944年ですけれども、6月11日には本格的な空爆が始まります。新築中の家がボンボン燃えて、それで牛をつないでいるもので、牛がかわいそうということで、壕から抜け出して、その牛の縄を解いて放牧しました。その時、米軍の飛行機が僕ひとりだけを狙ってくるわけです。どうするかというと、弾を撃ちながら約40センチメートルぐらいの鉄片を投げているわけです。まあ、あたりませんでしたが、それから2日くらいすると艦砲射撃が始まるわけです。持てるだけの荷物を持って避難するんです。避難するんですがどこに行っても結局軍隊がいて、なかなか安全な場所に避難ができない。荷物は持てるだけ持っていますから、夜になってサイパンの中央にタポチョという山がありまして、そのタポチョというところは標高400メートル位あります。そこへ逃げようということで、そこへ向かっていくんです。すると夜になると艦砲射撃が、夜・昼艦砲射撃が24時間ありますね。最初は何かよく分かりませんでしたが、その風を切っていくヒユーっという音が聞こえるんですね。それで闇の中を、曳光(えいこう)を引いて赤い線が、いくつもの線が夜空を飛んでいくわけです。これが艦砲弾なんですね。みたところとても美しいです。美しいんですけれども、美しいと言う表現はあまりあたりませんが、実際に美しいんです。夜空に線を引いて流れていきますが、ヒューという音が、ヒューッと長ければ自分達には安全なんですね。短いときにはシュッンという音でほんとにヒューという音ではなくて、シュッンと音がしてその後だいたい弾にあたって死んでいるという状況ですね。

 それで、私数字が弱いのでどういう風になっているか分かりませんけども、幸い高校生の皆さんがいますから、メモできる人はメモして下さい。琉球新報の資料によりますとサイパンに撃ちこまれた艦砲弾が138,391発。トン数にして8,500トン。それからアメリカの砲兵が撃った大砲弾が291,405発。それから、照明弾というのは夜照らす弾ですが、照明弾がだいたい、5,882発。空軍が空爆で使った弾とか、あるいは陸軍が使った機関銃とか、小銃、小火器の弾薬をざっと計算してみますと、429,796発が先程申し上げました122平方キロメートルの小さな島に撃ちこまれました。それにプラス空爆ですね。それから陸軍の機関銃とか、小銃なんかの小火器ですね。これを加える。当時サイパンにいた人口は、民間人が約25,000人。軍隊が約43,000人、そして非戦闘員というのが、非戦闘員というのは朝鮮から強制的につれてこられた労働者ですね。それが約20,000人。合計88,000人ですね。88,000人と、122平方キロメートルの島に429,796発がどのくらいの比率で撃ちこまれたのか・・・。高校生の皆さんはどうぞ後で計算して、何かの機会に発表でもして下さい。

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