北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1広場優勢|サーターヤーモー|ハツドーキの近くにあった。ハツドーキができる以前、サーターヤーが集まっていたあたりにあった広場。エイサーの練習に使ったりしていた。|ウククヌメーヌモーグヮ-1郵便局の隣にある小さな広場。以前、この広場の側にウククという屋号の家があったので、この名がついた。ターンム(田芋)の畑になっていた。マーイサーが置いてあって、青年の遊び場所になっていた。マーイサーは大・中・小の3つあり、大きいものは100斤(60kg)あった。綱引きが終わると、この広場で、メンダカリとクシンダカリに分かれてのシーチェ一勝負などをして遊んだ。広場の前はカニチグチだった。ずけらん現在はキャンプ瑞慶覧のフェンスのすぐ内側の地点にあたり、そせきひはいしょの場所に小さい石碑を建てて拝所としている。|シーサ一二一|屋号シーサーニー(シーサー根): i7の屋敷の東角に石のシーサーいLづかこがあった。シーサーは東向きに立っていて、周りは石積みで囲われていた。シーサーの高さは1mぐらいで、子どもがまたがれるほどの大きさだった。背中はつるつるしていた。マーイシだった。11寵屋' |ガンヤー|メーダシクジマの西端にあった。チャタンサンカの人が使う場合にはお金はとらなかった。チャタンヌメ一ヤードゥイ(北谷ヌ前か屋取)の人たちは、ここのガンを借りていた。話者によると、ガンかぎかんりヤーの鍵は区長が管理していたようだと言う。おさガンヤーは、ガンが納まるように幅4mぐらいで、高さは1m50 c mぐらいだった。屋根は瓦ぶきだったが、普段はあまり人がこないので草が生えていた。葬式のあるときなどに手入れしていた。ガンの長さは3m50cmぐらいだった。普段は解体してガンヤーに納めてあり、葬式のあるときに喪家に持っていって組み立てる。棺を墓に運んだあとは、墓でそのまま再び解体し、ガンヤーに納めた。このガンは首里からの払い下げであるいう言い伝えがあった。74 -エイサー旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集溶の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。-マーイサー集落の広場などに置いてある大小の堅い、丸い石。青年たちが力試しをする。・シーチェー:おしくらまんじゅうみたいな遊び。・カニチグ、チ:綱引きの中央。雄綱と雌網をつなぐ場所。・キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター):沖縄本島中部にある米海兵隊墓地。《綱のカヌチ根軸の碑》-シーサー:魔除けの獅子像。-マーイシ:黒色の堅い石。-ガン室。葬式のとき、死者の棺を入れて墓地まで運ぶためのもの。・ガンヤー禽を納めておく小屋。

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