北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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11' ? /1 チャタングスクの頂上にある拝所。戦前は現在の位置より北北東15mほどの位置にあった。現在は、トゥンの洞に隣接してアガこんせきリウタキの詞が立っている。また、洞の東側には畑の痕跡や屋敷のあといしづ跡らしい石積みが残っていた。屋敷2つ分くらいの長さで、高さはl尺(30 c m)ぐらいだった。石積みの中は芋畑になっていた。平成16 (2004)年に北谷町指定文化財となった。|ジューサンウコール|話者によると、戦前、この拝所は屋号ヌンドゥルチの人たちだけが拝んでいたので、知らなかったと言う。せんざ戦後、チョ一口ーヤマの方に遷座していたが、現在はチャタングスク内の元の場所に戻しである。平成10 (1998)年のウーンナのきがんときには元の場所で祈願を行なうことができた。せっかいがんそな戦前のウコールは石灰岩でできていたので、線香を供えるたびにやかただんだん焼けいって、ぼろぼろになっていた。戦後、セメントで型をとって新たに作り直した。古いウコールは新しいウコールの中に埋め込んである。lビジュルI[※編注:P23 r戦時中の北谷ヌ前屋取」の地図に記載]』まし、しょナカヌシーにあった拝所。シーの上にビジュルがあって、毎年ウおがマチーと旧暦5月4日などに拝みが行なわれていた。じんこつ戦前は人骨があったが、戦後はなくなっていた。へんかん戦後、ハンビー飛行場が返還されてから入れるようになった。返おがた還されるまでは拝みも絶えていた。話者によると、現在は石のウコールが置いであるが、戦前もあったかどうかはわからないと言う。→北谷ヌ前屋取のナー力ヌシーを見よ。|クヮーデイーサービジュルlチャタン(北谷)とチャタンヌメ一ヤードゥイ(北谷ヌ前屋取)の境、クヮーデイーサーグムイのところにあった拝所。屋号タケーシ(高江洲): 6の西側あたりで、ケンドー沿いに、クワーデイーサー(モモタマナ)の木とビジュルがあった。土に埋まった石を、小さな石の洞で囲ってあった。1寺働|ジュショーイン|樹昌院。タメーシ(玉代勢)の集落入口にあった寺。カーラヤー72 《西御獄・十三御香慮》-ウーンナ:大綱引き。・ウコール:御香炉。線香をたてる炉。-シー:岩山。圃ビジュル:霊石として記られる石。・ウマチー・稲麦などの農耕に関して行なわれる祭り。・ハンビー飛行場:米海兵隊のへリ基地。昭和56 (1981)年に返還された。・ウコール:御香炉。線香をたてる炉。-ビジュル:霊石として把られる石。-カーラヤー:瓦ぶきの家。

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