北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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25板原(イチャバル)方言語形はイチャパル〈玉代勢〉。この一帯にはイチャパルヤードゥイと呼ばれる小集落があった。26仲山原(ナケーマバル)方言語形はナケーマパル〈仲山屋取〉、フナズクパル〈仲山屋取〉。ナケーマヤードゥイ(仲山屋取)の家屋敷が広がっていた。27伊野波原(ヌーファバル)土質利用畑地、宅地作物芋、サトウキピ土質ジャーガル、ウズマ利用畑地、宅地作物サトウキピ、大豆土質ジャーガル、マージ方言語形はヌーファパル〈玉代勢、仲山屋取〉。南側にヌーファガーラが流れていた。利用畑地ナケーマヤードゥイ(仲山屋取)ではヌーファジーとも言っていた。28新川原(アラカーバル)方言語形はアラカーパル〈仲山屋取〉。北側にアラカーが流れていた。29東屋宜原(アガリヤジバル)方言語形はアガリパルー〈仲山屋取〉。クシヤジの家屋敷と畑があった。真ん中はジャーガルの土地で周囲はマージ。雨が降ったときだけ涜れる川があり、その周辺はチューチチジャーガル。30西屋宜原(イリヤジパル)方言語形はイリパルー〈仲山屋取〉。イリヤジの家屋敷と畑があった。31前屋宜原(メーヤジバル)方言語形は、メーパル〈仲山屋取〉。メーヤジの家屋敷と畑があった。地籍字伝道32伝道原(デインドーバル、リンドーバル)方言語形はリンドーパル〈伝道〉。リンドー(伝道)のほぼ全部の家屋敷が含まれていた。33城原(グスクバル)方言語形はグスクパル〈北谷、伝道〉。チャタングスク一帯を指すハル名。現在も黙認耕作地がある。34白比川原(シルヒージャーバル)方言語形はシルヒージャーパル〈伝道〉。北側にシルヒージャーが流れている。田んぼもあったが、あまりいい回ではなかった。35山川原(ヤマガーバル)方言語形はヤマガーパル〈玉代勢、伝道〉。ヤマガーという湧き水があった。チャタン(北谷)、タメーシ(玉代勢)、伝道(リンドー)の人の墓があった。36西宇地原(イリウージバル)方言語形はイリウージパル〈伝道〉、ウージパル〈伝道、謝苅屋取〉。戦前はアガリウージパルとイリウージパルをあわせてウージパルと呼んでいた。墓がたくさんあった。408 作物芋、サトウキピ、大豆土質利用畑地作物芋、サトウキピ土質マージ、ジャーガル利用畑地、宅地作物芋、サトウキピ土質マージ利用畑地、宅地作物土質マージ、ジャーガル利用畑地、宅地作物芋、サトウキビ土質利用宅地、畑地作物芋、サトウキピ、豆など土質利用畑地、茅野作物サトウキピ土質利用畑地、水田作物米、サトウキピ土質利用畑地、墓地作物土質利用畑地、水田、墓地、松林作物米

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