北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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|アシビナージー|アシビナーの北側にある岩山。話者によると、アシビナーでアシビを始めたのが明治19 (1886)年頃からなので、その頃からアシビナージーと呼ぶようになったのではないかと言う。かでな嘉手納基地内に現存している高い岩山である。|マヤージー|屋号サンドゥーテーラグヮー(三良平良小): 80の北側にあった岩山。話者によると、マヤージーと言うが、必ずしもそこにネコを吊るすわけではなく、吊るされているのを見たこともないと言う。名前の由来は不明。かでな現在も嘉手納基地内に原形が残っている。立派なシーである。しかし、戦前はどこから見てもシーが見えたが、戦後は草刈りや薪取りもしなくなったために、木が生い茂っている。|ウカマジ-1シチャバルクーヮーの西側にあった岩山。話者によると、ウカマかいたくふうそうジーの東側には遺骨がたくさんあり、集落が開拓される前から風葬地帯だったのではないかと言う。ウカマジーと力ンジャージーの北側は石切り場だった。一級品の石で、墓石や石垣などに使われていた。シチャシードゥヤードゥイ(下勢頭屋取)の人たちは墓を作る時、ここから石を治宝していた。話者によると、戦時中、ウカマジーの防空壕は海軍の一番大きな高射砲が設置されていたが、一発も撃っていないと言う。現在も嘉子納基地内に残っている。戦前はどこから見ても岩が見えていたが、現在は木が生い茂り、岩が見えなくなっている。→喜友名小屋取のウカマジーを見よ。|力ンジャージー|ウカマジーの北西側に連なって位置するシー。|トゥクジヌシーグヮー|集落の西はずれにあった岩。このシーから草や石を取ると崇りがあると言われている。話者によると、トゥクジヌシーグヮーからプタ石を取って豚小屋を作ったら、豚の様子がおかしくなり、取った石でんせつを戻したという伝説があると言う。タマガイが出たり、骨なども多く、草刈りには行かなかった。かでな嘉手納基地内に現存している小さなシーグヮーである。386 -アシビ:歌・三味線・踊りなどを楽しむこと。また、村芝居・祭りなど、仕事を休んで行なう演芸・娯楽。-嘉手納基地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。-ネコの死骸を葬るときに木の枝に吊るす習俗が沖縄各地にみられ、そうすると化けネコにならずに成仏すると言う。・シー・岩山。《マヤージー》-シー:岩山。-タマガイ.凶兆。火の玉が家の上に高く上がったりすること。-嘉手納基地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。・シーグヮー:岩山。

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