北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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行く道と、その帰り道は道順を変えていた。喪家以外は、屋敷の門れいのところに霊が入ってこないようにという意昧で、デーク(ダンチク)を置いた。デークがない場合には、道の灰を轟いた。14~15歳以下の子どもが亡くなった場合には、墓に20日くやっさびらいの問、ランプを点けておいた。話者によると、寂しがらないようにという意味だったのではないかと言う。墓に4つの柱を立て、仮の屋根を作っていた。→桑江ヌ前屋取のガンヤーを見よ。1掘込墓画面|ジョーミチャーバ力|現在の県立北谷高等学校の北側斜面にあった墓。→桑江のイーンバ力を見よ。i玉江主43監一一「北谷の海Jsb ム-r,=.~ ~:;.日~£二J《画・比嘉昌信氏》195 《間取り調査風景》

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