北谷町の綱引き
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われる。北谷三ヵ村大綱引きは、①ムラの歴史再認識の機会であり、②重層化した実行組織をとおして年齢集団聞の交流が強化され、③郷友会の多くの成員が参加する地域活性化事業、である。郷友会で行う年中行事は、玉代勢が1回(ニングヮチャー)、伝道が2回(ニングヮ.チャー他)、北谷が5回(ニングヮチャー他)にすぎないロしかし、三ヵ村大綱引きになると8ヵ月前に実行委員会を発足させて、三ヵ村をあげて準備が始まるのである。綱引きの2ヵ月前から毎晩のように老いも若きも集まり、それぞれの役割に取り組む。13年目ごとの大綱引き、それは、永い時間と労力、意欲と情熱をかけた永遠回帰の儀礼であり、その過程で、アメリカ軍基地にムラをとられた人々はバーチャル・コミュニティをリアルな空間に変えつつ、原郷意識を共有し、連帯を強化していく。三、北谷町教育委員会の調査委嘱について1996 (平成8)年5月に、北谷町教育委員会教育長嘗山憲一氏と平敷令治の間で、[民俗文化財調査委託契約書Jを交わした(1997年及び1998年に契約更新)。平敷は、高江洲敦子をキャップとする調査団を組織した。団員は、新里まゆみ、平敷兼哉、田場勝也、比嘉敦子、赤嶺朋子、高宮城ひとみ、の7人である。団長の平敷は、調査計画の策定、調査要領、報告書のまとめ、に際して助言し、報告書の監修をおこなった。高江洲以下のメンバーは1996(平成8)年度に砂辺・桑江・旧平安山・下勢頭の調査を行い、平成9年には旧北谷・旧玉代勢・旧伝道・野里の綱引き習俗について調査した。平成10年には、旧北谷・旧玉代勢・旧伝道の聞き取り調査を行ったが、主たる調査対象は北谷三ヵ村大綱引きであった。大綱引きの調査に団員として儀間淳ーが新たに加わり、さらに調査補助員として沖縄国際大学文学部社会学科稲福ゼミの3年生、宮里真由美・高良都・宜野座亜紀・新城明彦、それに与那原町教育委員会の崎山須磨子が協力した。1999 (平成11)年1月には、RBCビジョンの撮影した大綱引きのビデオ「北谷ウーンナjのナレーション案を比嘉敦子氏(北谷町文化課嘱託職員)と調査団全員で検討し、ビデオ映像については北谷町教育委員会文化課長嘉手納昇氏・係長中村慮氏・主事東門研治氏とともに、団員全員で意見をだしあった。ビデオ「北谷ウーンナjを見ながら、調査団員はそれぞれの分担項目の事実確認を行うことができた。また、北谷町教育委員会の企画による同年10月から11月にかけての北谷町中央公民館講座で、団員は分担調査の成果について発表する機会を与えられた。講座参加者の多くが北谷三ヵ村大綱引き実行委員会のメンバーであり、発表後の質疑応答をとおして、団員は新たな資料を得ることができた。本報告書には、写真が188、図版が42、表が14、地図が9、掲載されている。網打ちゃ当日の大綱引きの時間的経過の記録など、どの調査項目をとりあげても調査者の熱意が伝-198-

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