北谷町の綱引き
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ロ.カニチ棒戦前の砂辺の綱は、雌雄合わせて4本の綱からなっていたので、カニチ棒(かんぬき棒)は雌雄の綱を繋ぐ中央部分にl本、そして雌雄それぞれの一番綱と二番綱を繋ぐカニチ棒が1本ずつ使用された。雌雄の綱を繋ぐ中央のカニチ棒は直径約1尺(30cm)、長さが約5尺(150cm)程であった。雌雄それぞれの一番綱と二番網をつぐカニチ棒については、中央のカニチ棒より小さかったというが、詳細な寸法については不明である。戦後の網引きは、l本の麻製ロープを利用しているためカニチ棒は使用されていない。④備え・示威行為イ.旗頭砂辺の綱引きに旗頭は使わなかった。現在おこなわれている綱引きにおいても使用しない。砂辺の旗頭は、旧暦7月7日のハタスガシーと、旧暦8月15日のムラアシビに使われていた.通常は根所(ニードゥクル)に保管した。戦前の旗にはサトウキビの絵が描かれていたのを覚えているという(与儀正仁さん談)0 w北谷町史Jl(1992: 421-422)では、旗にはサトウキビの絵が書かれ、綱引きが終わると綱も旗も根所で保存したようだが、綱引き行事に旗頭を用いたという伝承は聞くことができなかった。ロ.楽器戦前の綱引きで使う楽器には、ウフチヂン(大太鼓)とグマチヂン(締太鼓)、ボラ、ショウグ、ドラなどがあった。これらの総称は特になかった。楽器を使ったのは青年男性で、使ってみたいと思う者が使った。ショウグやグマチヂンなど、楽器の練習はなく、先輩方のこれまでの打ち方を聞いて覚えた。ドラやポラは、集合の合図としても使われた。ドラ打ちは屋号蒲犬川小(カマーインカーグヮー)に上手な方がいた。また、ボラはメンダカリの屋号牛松田小(ウシマチダグヮー)に上手な方がいたという。1996 (平成8)年の綱引きには、子どもや成人男性らがショウグやドラを町いたり、ボラを吹いたりして綱引き行事を報せた。綱を引く時には、ポラとショウゴ、ドラを叩いた。ハ.テービー(松明)戦前の砂辺では、夜に網を引くことからテービー(松明)が使われた。このテービーは、綱引き場に灯りを灯すだけでなく、時にはガーエーで相手側と叩き合う道具としても使われた。戦後の綱引きでテービーを使うことはない。さて、このテービーにはサトウキビの搾り殻を用いる。サトウキビの搾り殻を方言でウージガラ一、あるいはシブイガラーという。ウージガラーは、サトウキビの収穫後、搾った殻を10日程干し、保管して置いたものを使った。ウージガラーは、砂糖を煮るときや、普段の生活でも燃料として使われていた。綱引きになると、各家から2"'3本のウージガラーを集めた。メンダカリ、イリンダカリの双方に本数などの決まりはなかった。集められたウージガラーは、3"'4本を束ねて使った。長さは2--3尺。綱引きには年配の方が-142-

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