北谷町の綱引き
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ンダカリ(北谷のメンダカリと玉代勢のシチャンダカリ)は、ンマイーの南端に位置したンマアミシグムイへワラ束を投げ入れた。翌26日には、字玉代勢のナカミチを主会場に大綱引きが行われたが、玉代勢でも字北谷と同様にあらかじめ準備されたワラ束を用いて、字玉代勢の男たちがカニチ焼きを担当した。クシンダカリの男たち(玉代勢のイーンダカリ)は、玉代勢の村屋敷地内広場にワラ束を放置し、メンダカリの男たち(玉代勢のシチャンダカリ)は、ヒージャーイーにワラ束を放置した(照屋光久さん談)。36年ぶりに行われた1974年の大綱引きは、米軍基地ハンビー飛行場跡地を特別に借用しての挙行となったため、米軍への配慮なと、からワラ束に火を点けることはなかった。戦後3回目となる平成10年の大綱引きでは、クシンダカリに軍配があがった直後、メンダカリ・クシンダカリの双方とも5"""6人の男たちによって、長さ約lm50cm、最大直径約30cm程のワラ束が準備された。男たちはカニチグチ付近でラ、.、~~.~てre‘うさW~. ~ .. 写真2-177 戦前のンマアミシグムイに放置されたワラ束(メンダカリ)写真2-178 波打ち際まで運んできたワラ束(クシンダカリ)イターを用いて火を点け、火のついたワラ束を高くかざして数回ぶつけ合った後、クシンダカリは、4人の男性によって安良波公圏内のインディアンオーク号あたりの波打ち際にワラ束を放置し、メンダカリは、3人の男たちがワラ束を車に積み、戦前のンマアミシグムイにあたる場所まで運び、その場所にワラ束を放置した。なお、大綱引きにおいては雌雄いずれかの綱の勝ちによって次の年の豊作を占う、年占の伝承は確認できない。参考文献崎原恒新、「北谷三ヵ村の大綱引j、『まつり~31号、まつり同好会、19780平敷令治、「沖縄の綱引一備え、怒り、祈りj、『ド|-136-

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