北谷町の自然・歴史・文化
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ω間切から村へ一九O八年施行の「沖縄県及島唄町村制」て間切は村に変更どなリ、長い間使用さむしりれた北谷間切も終止符が打たれ「北谷村」の誕生をみます。同時に十二か村(北谷村・伝道村・玉代勢村・桑江村・伊礼村・浜川村・平安山村・砂辺村・野里村・野田村・あざ嘉手納村・屋良村)は字(字北谷・字伝道・字玉代勢など)どなリ、行政単位どしての機能を失うこどになリました。また、間切会も「村会」ピ改称されまLた。選挙と北谷川選挙制度の推移一九二六(昭和元)年か沖縄県で他府県なみに「普通選挙制」が実施されるのは、らです。それまでの衆議院、県会、町村会など、すべての選挙は限られた人だけが投らよ〈せっこ〈ぜい票権を持っていまLた。たどえば衆議院議員選挙の選挙権は、直接国税一五円以上を納める者から一O円以上(一八九O年)に、さらに制限は三円以上(一九一九年)。〉近代のようす一九二六(昭和元)年から普通選挙制になリました。県会議員選挙は一九O九(明治四二)年五月の第一回選挙以後四年毎に、第九回選挙(一九四一年)まで行われました。第一回から第三回までは特別県政下で区町村議員の選挙によって行な者どなリ、われ、被選挙権は区町村会議員の選挙権を持ち、直接国税五円以上を納める者だけに戦前の村役場(昭和10年ごろ)59

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