北谷町の自然・歴史・文化
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だんよくなってきまLた。北谷村においても村民の村づくリの意欲が高まリ、村政に対する村氏の要求も多くなって村の仕事もふえてきました。一九五九年八月には水道が敷設され、村内の道路整備など村氏の要求に応える政治のしくみも図5のように改められました。一九六一年四月にはコンクリート二階建ての庁舎が謝苅ニ区に建設されました。村の大半が軍事基地どなっている北谷村は、居住地域の拡大が町民の大きな願いであり、一九六七年の栄口、桑江地区の山地開発、一九七一年の宮城地区の埋め立て造成、上勢、北谷、桑江地域の軍用地の開放どその跡地利用などの事業が積極的に進められてきまLた。復帰後の行政一九七二年五月一五日の祖国復帰に備えて、その前日までに日本の制度に合うよう日本の制度への移行にに条例を改正し、機構を改めて復帰体制を整えていきました。ついては、直ちに同一化するこどが困難なものは経過的な措置などをしてスムーズに行われまLたが、米軍用地問題などの課題は残されまLた。復帰ど同時に村役所は村役場に改められました。北谷村は一九八O年四月一日に北谷町どなり、行政区も改められ、町民は新たな決行政の移り変わり意て町づくりを誓い合いました。現在の北谷町の行政機構は次頁の図6に示されているどおリです。図5村行政機構(一九六一年度)キす長収助入役彼:財務課会土財税計地務務-庶務課-経済課文書予算戸籍援護福祉厚生育防衛生文化住民登録土木農業畜産林業水産統計失対事業行政区桃原区謝苅区北前区砂辺区219

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