北谷町の自然・歴史・文化
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住民の旧村復帰がほぼ終了Lた一九四八年頃になってアメリカの沖縄文配が長期化いみんそ〈Lはい人々は先の見えない異民族支配にいい知れぬ不安を覚えたするこどが明らかどなリ、ものの、郷里に帰って収容所時代のその日くらしの生活から逃れ、時間が経つにつれて終戦直後の混乱期からようやく抜け出すきざLが見えました。しかL、すべては米軍政府の示す枠内に限定され、窮屈さは否めない状況でLた。一九四八年三月一日には、全島で「市町村議会議員及び市町村長選挙法」による初の選挙が実施されましたが、村氏の村内復帰が遅れていた北谷村ては半年後の一九四八年一二月に村長選挙が行われ、稲嶺盛昌が当選しました。村の行政組織も次第に整い、人々の心にも明るさがよみがえリ、苦しいながらも生活の立て直しに全力を尽くしました。各字郷友会北谷村には多くの字があり、かん司、んモうさいそうごふじよ戦前は冠婚葬祭の相互扶助、字の人々の日常生活に関わる諸行事や伝統行事、共同作業などが久ロ字単位で行われていました。戦後は字の人々も同地域に住む、」どができなくなり、以前のような共同生活はできなくなりました。それでも田字の共同体意識は強く、戦後の村民生活が落ちつきを見せはじめた一九四O年代後半になって各字の郷友会組織がつぎつぎど復活し、伝統行事なども世代ごどに戦後のようす受け継がれて行くようになりまLた。久ロ字郷友会の活動内容は、字によって多少異なリますが、ほぼ共通Lて行われていが〈じLょヲれいかいるのは宇内の告別式の世話、学事奨励会や敬老会の実施、字の共有財産(字有地など)の管理などです。また、例えば北谷大綱引(北谷・伝道・玉代勢の三つの字が参加)新一年生激励会(砂辺)81

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