北谷の歴史

私たちの住む北谷町には、数多くの出来事がありました。その出来事は脈々と積み重なり、1つの歴史となっています。

 私たちの町「北谷」は、いつ頃からそう呼ばれる様になったのでしょう。どうやらそれは、1577年までさかのぼる事ができそうです。当時の琉球国王が、「きたたんおきて」と称する、地方役人に給した辞令書に書かれたものが、現在確認できる最古の文字資料となっています。「きたたん」の語源はよく分かりませんが、「きたたん」が「きちゃたん」→「ちちゃたん」→「ちゃたん」に変化していった事は、語学上はっきりしています。では、いつ頃そのように変化していったのでしょう。

 薩摩藩が幕府に提出した「正保国絵図(しょうほうくにえず)」(1649年)には、「北谷間切」の脇に「キタタンマギリ」のかながつけられています。鹿児島方言で「タン」は、谷の意味を示すもので、「キタタン」に「北谷」の漢字が当てられた後、「きたたん」が「きちゃたん」→「ちちゃたん」→「ちゃたん」に変化していったものと考えられています。

 先も述べました様に、北谷町には多くの出来事がありました。縄文時代に人々が生活をしていた事実(もしかすると私たちと血の繋がりがあるかもしれませんね)。グスク時代に中国と貿易をしていた事実。そして、第二次世界大戦時の米軍上陸地という事実。そのような事実の積み重ね(歴史)を、私たちはしっかり受け止め、後世に伝えて行かなくてはなりません。その為にも、私たち文化係職員は、日々、歴史に携わる仕事を行っています。

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