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北谷町と米軍基地

更新日:2023年9月5日

概況

1 地勢
 本町は沖縄本島の中部に位置し、北は嘉手納町、東は沖縄市と北中城村、南は宜野湾市に隣接し、西側は全て東シナ海に面しています。町の総面積は13.91平方キロメートルで、南北約5.9キロメートル、東西約4.3キロメートルとやや長方形をなしています。地形は、町西部の東シナ海に沿った海岸低地と標高40メートルから120メートルのなだらかな台地、丘陸の発達する東部から構成されています。
 本町の土質は、珊瑚石灰岩土層、国頭礫層、泥灰岩土層、海性沖積土層から成り立っており、これを地域別に見ると、謝苅一帯は珊瑚石灰岩土層、上勢頭一帯は国頭礫層、玉上一帯は泥灰岩土層、北谷・北前一帯は海性沖積土層でできています。
 気象は、亜熱帯海洋性気候で年平均気温は約22程度と四季を通じて温暖です。

2 沿革
 近代の北谷間切りは、12の“むら”(北谷、伝道、玉代勢、桑江、伊礼、平安山、浜川、砂辺、野国、野里、屋良、嘉手納)から成り立っていましたが、明治41年(1908年)に特別町村制が公布され、12のむらはそれぞれ「字」となり間切りは「村」と改められました。
 戦前までの北谷は農村として栄え、特に字北谷を中心とした玉代勢、伝道の「北谷三箇」にまたがる水田は、「北谷ターブックヮ」と呼ばれ、県下の三大美田の一つに数えられていました。
 しかし、第二次世界大戦において米軍の沖縄本島上陸地点になった北谷は、村全域が占領地となり、終戦とともに田畑は兵舎や飛行場へと姿を変えました。昭和23年には米軍による嘉手納飛行場として分村されることになりました。
 その後、北谷村は米軍基地の返還を求める返還跡地の生活環境整備を進めてきましたが、依然として村土の大半を占める基地の存在は、村の振興の妨げとなり、まちづくりや生活環境整備に大きな障害となっていました。しかし、昭和48年の「若夏国体」時の幹線道路の整備、復帰を前後として公有水面の埋め立てや山間地の宅地開発などを経て村は発展し、昭和54年には、人口が1万5千人を超え、翌年、町制へと移行しました。
 町制施行後も、町土の大半を占める米軍基地の存在は、まちづくりにとって大きな障害となっていますが、ハンビー飛行場及びメイ・モスカラー射撃訓練場の返還跡地利用や桑江地先公有水面の埋立開発、これらに続くキャンプ桑江北側部分の返還跡地利用、北谷フィッシャリーナ地区開発などにより、西海岸地域及び町役場周辺には新たな街並みが形成されました。現在では、西海岸地域において大型宿泊施設、物販施設等の商観光業施設の集積が進み、賑わいと活気のある町となっています。

3 地域特性
 本町は、町土面積13.91平方キロメートルのうち約51.6パーセントを米軍基地が占めており、残りわずか7.2平方キロメートルの狭小な町土でまちづくりを行わなければならないという土地利用上大きな制約を抱えています。また、これらの米軍基地から派生する航騒音や様々な事件・事故は、町民生活に大きな影響を与えています。とりわけ、本町砂辺地域においては、航空機騒音によって世帯が移転し、空地が増大するなどの地域コミュニティへの影響や住民の健康が懸念されています。
 その一方で、町西側の約5.6キロメートルにわたる沿岸域には美しい珊瑚礁が生息し、ダイビングをはじめとするマリンスポーツが楽しめるなど観光・リゾート地としての魅力を備えています。また、国道58号や県道23号線などの県内主要幹線道路が町域を通っており、高速道路へのアクセスも良いなど道路交通網が充実しています。
 さらに、沖縄は琉球国時代における中国との交易や第二次世界大戦後のアメリカ統治といったような歴史的背景の中、独自の文化を育んできました。特に本町を含む中部地は米軍基地が集中していることから、アメリカ文化の影響を受けた独特の文化が形成されています。また、本町では、南米や南洋諸島に移住した北谷出身者との交流や平成12年に沖縄で開催された九州・沖縄サミットを契機とした英国との交流をはじめ海外移住者子弟研修生受入事業、ハワイ短期留学等が行われており、国際色豊な町となっています。
 本町では、町土の大半を占める米軍基地の存在がまちづくりを進める上で大きな問題となっていましたが、基地の町というイメージからの脱却を目指してその返還に精力的に取り組んできました。そして、返還された基地跡地については、地理的優位性、交通利便性、国際性といった地域特性を生かしながら町民とともにまちづくりを進めてきました。その結果、平成8年から平成13年までの5年間において、卸・小売事業所数が24パーセントも増加し、特に西海岸地域においては商業や観光・リゾート産業の集積が進んでおり、町の主要産業となっています。現在の北谷町は、県内外から多くの人が集まる全国有数の海を生かした都市型リゾート地として注目されており、今後はさらに町の魅力を国内外に発信し続けていくことが期待されています。

米軍基地の概況

 本町には、平成30年4月現在において嘉手納飛行場、キャンプ桑江、キャンプ瑞慶覧及び陸軍貯油施設の4つの米軍基地が存在します。
(注釈)統計数値については基準日が一部異なります。

1 嘉手納飛行場
所在地:北谷町、嘉手納町、沖縄市 (注釈)建物の一部が那覇市
面積:19,855千平方メートル(北谷町約3,635千平方メートル・18%)
管理部隊:第5空軍、第18航空団
地主数:12,125人
基地従業員:2,703人
年間賃借料:約288億円
滑走路:北側3,700m×90m、南側3,700m×60m

2 キャンプ桑江
所在地:北谷町
面積:675千平方メートル
管理部隊:海兵隊
地主数:671人
基地従業員:34人
年間賃借料:約1億1千万円
主な施設:事務所等

3 キャンプ瑞慶覧
所在地:北谷町、うるま市、沖縄市、北中城村、宜野湾市
面積:5,341千平方メートル(うち北谷町2,462千平方メートル)
管理部隊:海兵隊
地主数:4,817人
基地従業員:2,402人
年間賃借料:約83億円
主な施設:司令部、兵舎等

4 陸軍貯油施設 
所在地:北谷町、うるま市、沖縄市、嘉手納町、宜野湾市
面積:1,277千平方メートル(うち北谷町408千平方メートル)
管理部隊:陸軍
地主数:952人
基地従業員:102人
年間賃借料:約14億円
主な施設:倉庫

お問い合わせ

総務部 基地・安全対策課
沖縄県中頭郡北谷町桑江一丁目1番1号
電話:098-936-1234
FAX:098-936-7474

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北谷町役場

〒904-0192 沖縄県中頭郡北谷町桑江一丁目1番1号 電話:098-936-1234
開庁時間 午前8時30分から正午、午後1時から午後5時15分
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