北谷町の戦跡・記念碑
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1945年4月1日本島上陸oT' 蝉"米軍上陸, ‘ • 砂辺のナガパーマ付近を上陸する米軍米軍はまず1945年3月26日慶良間諸島に上陸した。これは、沖縄本島上陸に備えて、水上機基地と艦隊の投錨地を確保するためであった。慶良問諸島を制圧した米軍は同年4月1日本島上陸に先立ち、艦船から一斉に援護射撃を開始した。打ち込んだ砲弾は5インチ砲やロケット弾、臼砲弾など10万発以上といわれ、畳1枚の広さにl発の割合だという。また、上空からは約130機の艦載機が海岸や聖壕に、ナパーム弾や機銃掃射を浴びせた。米軍は北谷から読谷にかけての西海岸から無血上陸した。その兵員の数は約18万3,000人、後方部隊などを合わせると総勢約55万人、船舶の数は1,400隻とも1,500隻とも言われている。兵員、兵器ともに圧倒的な物量を誇る米軍に比べ、日本軍は満足な兵器もなく奇襲戦法で米軍を迎え撃つため、首里の第32軍司令部の前線の陣地深く息を潜めていた。米軍上陸の時点から、日本軍に勝算の望みはなかった。以後、一般住民をも巻き込んだ悲惨な沖縄戦が3ヶ月余にも及んで展開されることになる。4-

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