北谷町の戦跡・記念碑
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クマヤーガマ所在地:北谷町字砂辺50番立地:標高7mほどの低く平たい石灰岩台地が浸食された鍾乳洞形態:全長約40mの3つの洞穴からできている!Jクマヤーガマ国道58号砂辺地区にあるクマヤ洞穴遺跡。標高7mほどの低く平たい石灰岩台地が浸食されてできた鍾乳洞で、全長約40mの3つの洞穴からできている。条痕文土器が発掘された事から、縄文前期に相当する5千年前のものとされている。メノウや貝製腕輪、中国青磁・白磁、ガラス玉なども多く出土したという。.1砂辺公民館ー旬、‘ー、‘,、、ーーー、,て,、, , , , , 1田ーー-T-ーー'1----"'" I、目、-~-ーてこゴー工干,,-嘉手納ュ'--r-~空軍基地~--: ~. 、¥ ¥ 、,、国体道路入口ャンプ桑江至宜野湾雨、一一米軍基地内道路砂辺の人々の避難壕クマヤーガマは砂辺部落の人々の命の守り神である。米軍の10・10空襲(1944年10月10日)やそれ以降の米軍のすさまじい艦砲射撃、空からの機銃掃射などの際、砂辺部落の人々はいち早く同ガマ!こ避難し、砲撃から身を守った。砂辺の人々は米軍上陸の数日前に全員が同じガマを出て、山原などに避難しただめ、ガマの中で戦死者は一人屯でていない。同ガマ!こは空気の流通をよくするだめlこ空気孔をあけだ跡がいくつかある。また、洞穴内|こは3つの広場がありそれぞれ炊事場、寝床など|こ利用されていだ。しかし、洞穴内|こは数百名の人ガ避難していただめ、換気も悪<、そのうえ湿度ち高<、衰弱していく者も多かつだという。まだ、同ガマでは先史時代の遺骨も多数出土しており、長い歴史の中で重要な役割を果だしてき定ことが分かる。つリクマヤlガマ洞穴H砂辺在)の内部

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