北谷町の戦跡・記念碑
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1戦前~戦後の北谷の様子-戦前・戦後の北谷の移り変わり北谷は、1908年に特別町村制が敷かれたことに伴い、村制が施行されました。戦前、北谷は北部の奥問・羽地のターブックヮと並ぶ県下三大美田の一つ「北谷ターブックヮJがあり、米の産地として知られていました。そして珊瑚礁に固まれた遠浅の西海岸に面していることから、海の幸にも恵まれた地域でありました。しかし、1945年4月l日の沖縄本島米軍上陸によってことごとく破壊された北谷は全土が接収されました。その後、1946年10月22日に一部地域に帰村が許可されました。しかし、米軍によって嘉手納飛行場が大幅に拡張使用されたため村が北谷地域と嘉手納地域において完全に二分され、交通が発達していない当時としては、行政運営に大きな障害となり、やむを得ず1948年に嘉手納地域を分村する事になりました。まして、平坦部の地勢良好な土地は米軍に接収されているため、村民は山間谷間の地で生活を余儀なくされました。E戦前の北谷1E戦前の北谷2北谷トンネルとイチグスク北谷ターフーックワ(現在のキャンプロ桑江キャンプ瑞開)I戦後の北谷2E戦後の北谷1終戦直後の北谷部落辺り(現在のキャンプ瑞慶覧)E戦後の北谷41947年北玉小学校のコンセット設営の様子1948年頃元居住地復帰(謝苅区)'戦後の北谷51953年北谷中学校phu つ臼

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