北谷町の戦跡・記念碑
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発刊にあたって北谷町長野国昌春去る戦争により多くの町民(当時は村民)が命を失うとともに家屋や田畑などの財産もことごとく破壊された。また、終戦時には町の全域が米軍に占領され、かろうじて生き延びた町民も自らの土地に帰ることが許されなかった。町民は肉親や友人の死に大きな衝撃を受けたが、それゆえ平和を求める心も大きく「命どう宝」の考えのもとに平和な社会の建設に全力を尽くした。1 9 4 6 (昭和21)年10月22日、米軍から町内の一部に居住が許可され、文字どおりゼ口からの戦後復興が始まった。疎開先の各地区から先遣隊を繰り出し、標準家屋の建設、共同耕作地の開墾、米軍の廃材を利用した学校の建設等、焦土と化したふるさとの復興に努めた。今年は、焦土と化した土地に最初の一撃の鍬を下ろした日から65年にあたる。「戦争は絶対に起こしてはならない。」沖縄戦体験者は、その体験を平和をつくるための遺言として語り継ぎ、戦争を知らない世代は何者にも代えがたい貴重な遺産として受け継いでいきたいものである。これは、沖縄戦を体験した者が持っている決して譲ることのできない固い信念である。そして、戦争を知らない世代がさらに次の世代へ戦争の悲惨さ、平和の大切さを幾世代にもわたって語り継ぎ、平和なふるさと、平和な沖縄県、そして世界の恒久平和の実現のため頑張っていきたいものである。この冊子が、その一助になれば幸いである。戦跡を見て、聞いて、調べて、考えて、そして親子で語り合っていこうo平和創造へのJ思いを深めてもらう機会となりますことを祈念して。2 0 1 l(平成23)年2月

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