北谷町の戦跡・記念碑
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白比川沿いの特攻艇秘匿壕群所在地:北谷町字大村374・363・357番l(キャンプ瑞慶覧内)・吉原988番・1008番立地(標高):丘陵(約20m)形態:人工壕種目J:秘匿壕現状:壕は崩落している部分がある保存状況:原野に放置されている築造者:海上挺進基地第29大隊築造年月日1944年12月以降戦時中の使用状況:特攻艇秘匿壕主な遺構:秘匿壕米軍の上陸が想定された地域には、陸軍の特攻艇部隊が配置された。沖縄には、慶良問に海上挺進第25戦隊、与那原に第27戦隊、港川に第28戦隊、そして北谷に第2 9戦隊が配備される予定だ、った。海上挺進第29戦隊は、194 5年1月沖縄へ向かったが、輸送船団は敵の攻撃を受け戦隊主力は奄美大島で立ち往生した。第1中隊と第2中隊の一部が到着したが、保有する特攻艇は約20隻に過ぎなかったという。第29戦隊の配備に先だ、って、基地建設のための部隊が配置されることとなった。特攻艇@の基地建設部隊である海上挺進基地第29大隊は広島で創設され、1 944年の1 2月5日に白比川沿いに進駐した。北王国民学校や民家に分宿した部隊には応百兵が多かったので、住民からは「タンメー(おじさん)部隊」と呼ばれた。このとき、村内からも約200名あまりが防衛隊として編入され、昼夜兼行の秘匿壕づくりが行われている。白比川を挟んで両側に30 ~40本の秘匿壕つくられたという。壕掘りを行っている。壕は高さが約2m、幅は約3mで、奥行きは壕によって異なるが、挺を2隻縦に並べて格納できるほどであった。壕の残る丘秘匿壕内部現存する壕の中のlつは12mの奥行きがある。(@は全幅1.8m、全長5.6m)川までは、枕木に線路を敷いていたようである。白比川沿いには、7基の壕が残っており、その中の1基が現在、墓として転用されている。194 5年3月29日夜から30日朝にかけて中川中尉以下1 7名が出撃し慶良間方面の米船団に向けて攻撃した。全艇未帰還となったが、1名だけは生還した。@は重さ約1t、木造合板製で艇尾に120kgの爆雷2個を搭載していた。搭乗できる隊員は1名で、20ノットの速力で敵戦艦に接近して魚雷を投下するという奇襲戦法だ、ったが、効果はほとんどなかったという。慶良間列島に配備された特攻艇Fhu 唱EA

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