北谷町の戦跡・記念碑
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ナル力一付近の避難場所所在地:北谷町字桑江地内現状:住宅地主な遺構:竹山御巌・受水ガマ・浄水施設国道58号至宜野湾市• 国指定史跡伊礼原遺跡.ナルカー桑江17号線ナルカーは、鳴川、奈留川とも書かれる谷間の湧水で、昔、近くの伊礼集落までフkの落ちる音が聞こえることからその名が付いたとの由来がある。そこは、伊礼集落から山に入る「山田道」があり、谷間にはアジ墓が連座し、背後には、樹木がうっそうと茂り、昼でも恐いところであった。戦時中は、山の中にある「竹山御巌J(現ちゃたんニライセンター下の公園内)があって、そこには自然洞窟の防空壕があり、避難場所として使われた。その上流には、ウキンジュガマ(受水ガマ)もあり桑江集落や上勢頭の人々が300人ほど避難したとの証言もある。このナルカーは、上陸後の米軍も飲料水としていち早く確保していたらしく、米軍地図にspringと明記され、Iapril 10 1946Jと刻まれた貯水施設を作っていた。現在の浄水施設の元と考えられる。町民の証言1 ナルカーの上流にある壕にいた。2 竹林の中にあった壕のひとつに、家から柵を持ってきて道具を置いていた。米軍が上陸する前まで、2週間ぐらいいた。ナルカーの谷間ナルカ一手前にある桑江合間所-14-

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