北谷町の戦跡・記念碑
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ウカマジーの海軍砲台跡所在地:北谷町字浜川252番(嘉手納空軍基地内)立地(標高):丘陵(約5Um) 形態:構築物+人工壕種別.砲台現状:壕は崩落している部分がある保存状況:基地内で説明版が設置されている築造者:不明築造年月日1945年1月頃戦時中の使用状況:海軍砲台として利用主な遺構:砲台跡と付属の壕北谷町は、米軍の上陸地点と考えられ、日本軍が町のいたる所に陣地を構築していた。現在の嘉手納空軍基地第1ゲートを入ると左奥にゴルフ場があり、その中に小さな岩山が残っている。米軍が野戦病院跡の碑を建てているが、ここがウカマジーの丘である。ウカマジーの海軍砲台跡には、砲座、陣地壕、観測所等の施設跡が現存している。砲座と陣地壕は丘の中腹に所在し繋がっている。観測所は丘の上に所在する。砲座及び観測所は、コンクリートで作られている。陣地壕は、崩落が激しいが、砲座跡は砲は撤去されているものの、砲と砲座を連結していたボルト等も残っており、残り具合は非常に良好である。8月以降、第62師団(石部隊)独立歩兵第15大隊が移駐してきた。翌年、名所であった北谷トンネルも軍事車両の通行に差し障るとして破壊されてしまった。海岸沿いには丸太を組んだ戦車止めや戦車穴が掘られ、米軍の上陸に備えた。ウカマジーの丘には海軍第11砲台が設置されていた。海軍は、194 5年1月頃、沖縄本島に15.5cm砲9基を設置した。ウカマジーの海軍砲台は、この時に整備されたものと思われる。また、丘の頂上部には、砲の観測所と思われるコンクリート製の構造物がある。海軍砲台には、喜友名小屋取から14名の女子青年が3月24日・25日頃、海軍女子挺身隊として徴用された。また、下勢頭からも女子青年団57名が、砲弾運びに動員された。海軍砲台からは2発の砲弾発射があっ国道58号J,ー:、r、/. /,....て¥ウカマジーのノ¥ 海軍砲台跡ノ¥ I----T---~ .、,。一ーー--<』、---ーーー」、--'¥'一一一ーー----""1 _....-, J--7 、i嘉手納空軍基地F、、、、,、国体道路入口砲台跡の残る丘コンクリー卜で建造された砲台跡っ“唱Ei

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