北谷町の戦跡・記念碑
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O 機関銃陣地壕平面遺精図可守② 凡例図第3紀泥岩関土砂圏第3紀砂岩来なかった。厨子嚢は表土上に置かれていることから、戦後に移転されたものと思われる。当陣地が所在する北谷町吉原の周辺には、1 944年8月以降、第62師団独立歩兵第15大隊と第2 3大隊が配置されていた。これらの部隊は、同年12月、配備変更で本島南部へ移駐するまで、地域の住民を動員しながら陣地壕などを構築していた。12月以降、替わってこの地に駐屯したのは、独立混成第15連隊である。当壕が機関銃陣地といわれるのは、当時を知る地元住民がそう呼んでいるためで、陣中日誌によると、独立混成第15連隊第3機関銃中隊が1944年12月6日に北谷村佐久川・上勢頭に移駐したことが確認できる。しかし、当壕がこの部隊によって構築され、実際に使用されたかについては、聞き取りや文献調査が不十分なため、現在のところ不明である。、.、“町時-‘ 、壕内の棚状遺構壕内に残された厨子ガメ9

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