北谷町の戦跡・記念碑
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機関銃陣地壕所在地:北谷町字吉原289番立地(標高):山腹(約70m)形態:人工壕種別:陣地現状:一部に落盤がみられるが、比較的良好保存状況:丘陵の中腹に所在するため放置されている築造者:不明築造年月日:不明戦時中の使用状況:陣地主な遺構:陣地坑道、小部屋キャンプ桑江白比)11キャンプ瑞慶覧ヨヒ谷交差点県道130号編ーーーー米軍基地内道路機関銃陣地壕は、北玉小学校より北東へ約300mに位置する標高約80mの丘陵中腹に所在する。陣地壕内部には壕口①から入壕するが、周辺の雑木林を伐採しなければ進入できず、また、丘陵裾野と壕口①の床面までの標高差が約3mあり、45度程度の斜面を有しているので、よじ登るように入壕する。壕口②から④はそれぞれ600以上の急斜面にあるので、入壕が不可能である。壕口①、②附近坑道の床面は約10 cmの埋土が見られる程度であるが、壕口③、④附近坑道は、天井や壁面が崩落しその埋土は80cm"-'14 0 cmを測る。壕内部を形成する土壌は、第3紀砂岩(ニービ)と第3紀泥岩(クチャ)の混合層であり、天井部が概ね泥岩であるのでその風化土が埋土として現れている。しかし、壕口①、②附近坑道は丘陵山頂から染み出る雨水により一部の天井、壁面が鍾乳化しているため崩落が少ないものと思われる。ク'内部の遺構は、東西に延びる坑道を主とする。坑道は、概ね13 0 c m間隔での坑木跡が見られる。埋土が少ない壕口①附近坑道の坑木跡1基の表土を、約I 20cm除去すると沖縄戦当時の地山が/ ノ現れたが、坑木に打ち込む釘や鑓、坑木' の破片等の遺物は確認できなかった。坑道①の北側壁面に、幅約5m、奥行き約2mの小部屋が見られるが、当時の使途は不明である。この小部屋には厨子賓が10基(御殿型厨子饗5基、マンガン掛け厨子費5基)配置されているが、銘書は無く埋葬者等を特定することは出陣地壕の残る丘A¥『判¥、、、、ノt ¥ 坑木跡の残る壕内8-

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