北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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なった。→北谷のチャタングスクを見よ。|イチグスク|チャタントンネルが造られたE陵地帯。南側は畑地であった。現在の謝苅入口とシルヒージャーの間あたりであるが、全部住宅地になっており、イチグスクのE陵は残っていない。11谷間|タマタ|アラカーとシリンカーが合流するところを言う。タマタから下流をシルヒージャーと言う。アカギが生えており、そのすぐ下にナービグムイがあった。現在の北谷造園土木の近くにある。1小ハjレ名目ウージバル|アガリウージパルとイリウージパルがある。|チヌマタバル|ほとんどリンドー(伝道)の人の山で、草刈りや薪取りに行ってとおいた。チヌマタバルへ行くには、シガイビラを通り、シルヒージャーわたかを渡って行った。シルヒージャーに橋は架かっていなかったが、浅いところは、30cmぐらいの深さしかなかったので渡ることができた。きたたま現在の北玉区公民館がある一帯である。~水田地帯.チャタンターブP:yクヮ|チャタンサン力の南側に広がる田んぼ地帯。チョ一口ーヤマあふてんまがわたりから、現在の普天間川あたりまでを言う。ほユビダーやチアギーがあった。チアギーは、田を掘って水を通りやすくし、真ん中にその掘った土を盛り上げたものである。盛り上きいばいげたうえでは野菜などを栽培していた。11県道|ケンドー|県道。ケンドーを造るときに、チャタングスクの城壁の石が使用された。95 -北谷町指定文化財:平成16 (2004)年3月26日に①ハマガーウガン②アガリウタキ③トゥン④チプガーの4か所が指定された。-ユピダー:底なし回。深因。・チアギー:田んぼの真ん中に盛り土をして畑としたもの。

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