北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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ヤー。集落の東端にあり、屋号ウズマーグヮー(ウズマー小): 48とイーグミのサーターヤーの間にあった。イーグミのサーターヤーより、一段低いところに位置していた。26軒で共同利用していた。|ハナウチヌサーターヤー|製糖小屋。屋号ハナウチ(花打): 8の個人所有。屋敷の南側にあった。1田.|ナ-シルダ|チブガーのあたりは、全部ナーシルダだった。1拝所禽|トゥーティークー|アランモーに杷られていた。トゥーティークーはニービ石だった。かつおが4人で担ぐほどの大きな石で、ニングヮチャーのときに拝んでいた。1寺畠|ジュショーインl樹昌院。集落の西端、屋号クェードゥンチ(桑江殿内): 1の東側にあった。セメント瓦で、きれいな寺だった。チャタン(北谷)、タメーシ(玉代勢)、リンドー(伝道)のチャタンサンカのエイサーは、ジュショーインに集まり、奉納舞踊を行なってから、集落の各家を回っていた。11集会所合|ムラヤー|集落の東端、屋号アガリリンドー(東博道): 46の東側にあった。もともとはヒージャーイーにあったマーイサーが、ムラヤーに移されてきていた。そのマーイサーには臓みたいな窪みがあった。マーイサーは、戦前で無くなっていた。ムラヤーの東側には、チブガーから水を汲んだ帰りにひと休みする場所があった。11皇屋' |ガンヤー|集落の西方向、メーグシクジマのところにあった。ガンは、チャタンサンカの人たちで共同利用していた。話者によると、イチャバルヤードゥイ(板原屋取)の人たちは利用しなかったと言う。86 《間取り調査風景》-ナーシルダ:苗代田。-トウーティークー:土帝君。中国起源の土地関係の神。沖縄本島では農業の神とされる。・ニービ石:砂岩の堅い石。・ニングヮチャー・|日暦2月に行なわれる行事。集落や組単位で酒宴を開き、余興をして楽しむ。-エイサー:旧暦7月の主主の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。-ムラヤー:集落の集会所。圃マーイサー:集落の広場などに置いである大小の堅い、丸い石。青年たちが力試しをする。-ガンヤー:寵を納めておく小屋。-ガン:禽。葬式のとき、死者の棺を入れて墓地まで運ぶためのもの。

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