北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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あと止めた跡が残っている。11湧水井戸唖l|チブガー|集落の東側にあり、ンブガーであった。ヒージャーガーで、水が落ちるようになっていた。ニープやターグなどで水を汲んでいた。がんたん元旦のワカミジや毎日のお茶水もチブガーから汲んでいた。お茶水以外の雑用水は、各家の井戸から汲んでいた。また、洗濯をするための足場用の板が2枚浮いていた。ディージと言う。板の材質はリュウキュウマツで、サーターヤーで利用し終わったものを再利用していた。ハーイのときでも水が掴れることはなかった。話者によると、大ウナギ(鰻)もいたと言う。そぱチブガーの側にはウコールがあった。そのウコールは、戦後、一時期チョ一口ーヤマに移されていた。せっLゅヲ戦後は米軍に接収され、その後、県道130号線の工事による石まいぽつの崩落によって、チブガーは埋没してしまっていた。いまだ、キャずけらんンプ瑞慶覧内ではあるものの、米軍の文化財保護政策の一環としふくげんて、平成16 (2004)年に復元され、記念式典も行なわれた。戦前のチブガーを知る人たちによると、元の姿と変わらないと言う。違あしう点は、洗濯足場用の板に脚をつけたことと、ウコールを置いていた場所が少し違うことだと言う。ウコールは、現在の県道130号線となっているところにあったため、今回、チブガーの側に復元された。ちやたんちょう平成16 (2004)年に北谷町指定文化財となった。1停車場畠lエキダヮー|かで主ちゃたんな県営鉄道嘉手納線の北谷停車場。ノリパとも言う。無人駅。那はかでな覇や嘉手納へ行くときに利用していた。昭和17 ~ 1 8 (1942 ~ 43)年頃、那覇へ行くには片道16銭かかった。→北谷のエキグヮーを見よ。1製糖小屋⑫ |サーターヤー|共同製糖小屋。2か所あったうちの1つ。イーグミのサーターヤー。集落の東端にあり、シチャグミのサーターヤーの東隣で、段高いところに位置していた。25軒で共同利用していた。|サーターヤ-1共同製糖小屋。2か所あったうちのlつ。シチャグミのサーター85 -ンブガー:産湯に使う水を汲む井戸。・ヒージャーガー:樋川の井戸。・ニーブ:柄杓。・ターグ:楠。・ワカミジ:元Eに初めて汲む水。田ディージ:台木。-サーターヤー・製糖小屋。・ハーイ:日照り。皐越。-ウコール・御香炉。線香をたてる炉。-キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター):沖縄本島中部にある米海兵隊基地。《チブガーとウコール》-北谷町指定文化財:平成16 (2004)年3月26日に①ハマガーウガン②アガリウタキ③トゥン④チブガーの4か所が指定された。-沖縄県営鉄道嘉手納線:嘉手納・野国・平安山・桑江・北谷・大山・真志喜・大謝名・牧港・城間・内問・安里・与儀・古波蔵・那覇の15駅があった。《間取り調査風景》

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