北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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イーサンカ。ドゥーティーチ。ククルティーチ。(北谷、玉代勢、伝道は同じ三箇。体1つ。心lつ。)Jと表現した。ほとんどの行事をこの3集落一緒に行なっていた。なかでも、寅年に行なわれるウーンナが有名である。行事のときには、ナナクミワイといって、集落の規模に合わせてチャタン(北谷)4、ひょうぶんたんタメーシ(玉代勢)ジュショーイ2、リンドー(伝道)1の割合で費用を分担していた。ンもチャタンサンカで運営していた。ガンも共有していた。i集落lイシンダヤードゥイ|ちゃたんちょう石平屋取。タメーシ(玉代勢)集落の東南方向、北谷町域の南端ヤードヲイに位置した屋取集落。戸数も少なく、小さな集落だった。タメーシ(玉代勢)と交流があり、嫁取りもあった。田んぼはなく、畑地で、農作物はサトウキどを作っていた。山があり、松が多く生えていた。松葉を取りに行くこともあった。現在のリージョンクラブのところがイシンダヤードゥイ(石平屋取)の中心地だった。目河J11 イーグチガーラ|チブガーからの水が流れとなり、チャタンターブックヮへと流れ込んで行く}11。→北谷のチャタンターブックヮを見よ。|ウティガー|イーグチガーラの上流を言う。シルヒージャー|チャタンガーラとも言う。チャタングスクの北側を流れるん。きしゃIjCゃぎばる喜舎場、屋宜原の方から流れてきていた。しらひがわ現在の白比川のことである。→北谷、伝道のチャタングスクを見よ。i丘陵1イチャバルモー|イチャバルヤードゥイ(板原屋取)の屋号力ミーアジャマグワー(カミ一安座間小): 69の西方向に行ったところにあった。ソテツが生えていた。モーアシビをする場所だった。マジムンがいたと言う。82 《ウーンナ・ミルク(弥勅)~-ウーンナ:大綱引き。・ガン・寵。葬式のとき、死者の棺を入れて墓地まで運ぶためのもの。《関取り調査風景》-モーアシビ:農村で夜、若い男女が野原に出て遊ぶこと。三味線・歌・踊りなどをして楽しむ。・マジムン:魔物。化物。精。

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