北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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利用していた。話者によると、このガン(コーとも言う)は、ウドウンからいただいたものだという言い伝えがあったと言う。ガンは4人で担ぎ、さらに荷物持ちの1人がついた。墓までの道順は特に決まっていなかった。ガンが家の前を通るときには、門の前にカラフェーを置いた。墓から戻ってきたら、トートーメーの前で2尺(6 0 c m)ぐらいの棒に板をつけたものを長る。カンカンプープーと音が鳴る。「ウネウネ、クネクネ」と詰えながら、自に置いたまな板と包丁を蹴飛ばし、7固まわって、塩をまいた。結婚式のときのいたずらとして、ミームークを棒に乗せ、顔に鍋すすの煤を塗りつけた。なお、チャタンサンカ内の結婚には、ンマディマは必要なかった。[集落で行なわれる主な年中行事].旧暦2月2""3日<ニングワチャー(クシユクヮーシ)> :サーターグミであるイーグミとシチャグミの2つに分かれて行なわれる。イチャバルヤードゥイ(板原屋取)も一緒だった。初日は集落つの入口5か所に、しめ縄と肉を吊り下げて、アーチゲーシを行なっおがプタた。アランモーのトゥーティークーを拝む。豚1頭を2世帯で半とうふ分にし、シシジューシーなどのごちそうを作った。男性は豆腐3丁を持ち寄ったが、女性が持ってくるものは特になかった。集まる場りんぱんせい所は、輪番制で大きな家があてられていた。.旧暦6月25日<ワラビジナ>13""14歳以下の子どもたちが参加する綱引きで、毎年行なわれていた。e<ウーンナ>:寅年にはチャタンサン力合同でウーンナが行なわれる。昼に行なう大綱引きで、300年の歴史があると言う。戦争ち,うだんふつかっで中断したものの、戦後、昭和49 (1974)年に復活し、その後も昭和61 (1986)年、平成10 (1998)年の寅年に行なわれている0.旧暦7月15""16日<盆>:エイサーは、ジュショーインに集まってから始めた。チャタン(北谷)とリンドー(伝道)も、それほうのうぶようぞれジュショーインに集まって奉納舞踊をしていた。シチャンダカリからイーンダカリへと各家をまわり、酒を2合ずつもらっていた。せっし,ぅ集落域は米軍に接収され、現在の県道130号線の南側、キャンずけらんプ瑞慶覧内である。そのため地形は変化し、人々も他集落へ分散しきょうゆうかいて暮らしている。しかし、郷友会を中心に、諸行事を行なっている団結の強い集落である。米軍基地内ではあるものの、チョ一口ーヤマでは毎年長老祭が行なわれている。また、平成16 (2004)年にふくげんちゃたんちょうは、チブガーが復元され、同年に北谷町指定文化財の1つとなった。79 -ガン:禽。葬式のとき、死者の棺を入れて墓地まで運ぶためのもの。・ウドゥン:王子、按司(位階名)の家敬称。・ヵラフェー:灰。・トートーメー:祖先の位牌。-ミームーク:新郎。・ンマディマ:他集落から嫁をもらう婿が、女性の集落の青年たちに出す酒代。-ニングヮチャー:旧暦2月に行なわれる行事。集落や組単位で酒宴を開き、余興をして楽しむ0・サーターグミ:製糖の作業をする組。・フーチゲーシ:悪疫を防ぐためのまじないの行事。・トゥーティークー:土帝君。中国起源の土地関係の神。沖縄本島では農業の神とされる。・シシジューシー:肉を入れた炊き込み御飯。・ワラビジナ:子どもたちによる綱引き。・ウーンナ:大綱引き。-エイサー:旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして踊り、各家を回る。-キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター):沖縄本島中部にある米海兵隊基地。-北谷町指定文化財:平成16 (2004)年3月26日に①ハマガーウガン②アガリウタキ③トゥン④チプガーの4か所が指定された。

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