北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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田川一り一連一九一掘一力一チャタンクースク北面の崖にあったフインチャーパカ。最り込んあとだ跡のようなものがあり、ウコールが置いてあった。中に骨が見えた。力ニマンアンジという人の墓だったとか、チャタングスクの主が葬られているという言い伝えがある。チャタン(北谷)のなかでも、山川門中がカミウシーミーのときに拝んでいた。他に伊礼、嘉手納門中も拝んでいた。ひぶん話者によると、内容はわからないが、何か書かれた碑文が建てられていたと言う。現在は、ヤマガーパルに近いほうに場所を移しである。一l'一ユ一一他一メ一一の一ン一一ヲ宇、一JY、一しきち番所。キタタマショーガッコー敷地内にあった。学校の北東角つきやまに築山と池があり、このあたりにバンジュがあったと言う。キタタマショーガッコーからケンドーをはさんで北西に向かい合う屋号マチヤイーマグヮー(マチヤ上間小): 210は、かつてはパンジュヌイリ←と呼ばれていた。75 -フインチャーパカ:岩石や堅い土質の斜面に掘られた横穴の墓。・ウコール:御香炉。線香をたてる炉。-ムンチュー:門中。父系血縁による一族。主に祖先祭犯を行なう集団。・ヵミウシーミー:本家の墓で行なう祖先供養の行事。

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