北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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る人たちには知られた場所だったらしいと言う。(桑江)の聞取り調査によると、チャタン(北谷)の方にあさせかこあり、戦前、すでにあまり使われていなかったが、浅瀬に石で囲みいしづあとを作って魚を捕らえる場所で、その石積みの跡が残っていたと言う。ェク-ニーブ:ひしゃく。ド水井戸唖llウスクガー|わハツドーキの近くにあった湧き水。ウスクヌイジュングワーとも言う。広さは半間四方で、ニーブで汲めた。水は冬でも温かかった。屋号クンミ(小嶺): 1と屋号カミリンドー(嘉昧伝道): 2の2軒が使っていた井戸である。近くに、他にも2か所のイジュン-ィジユングワー:泉。グヮーがあった。ごうししょまつチョ一口ーヤマの合間所に杷られている。現在、|力ンタヌ力一I[※編注:位置不明確のため、地図上には記載していない]カンタヌカーグヮーとも言う。ナカイサーラパルの中にあった。ユナフイパルとナカイサーラの山がぶつかるところにあった。1"-'たきふか2mの滝のようになっていた。雨が降らないとj回れるぐらいの井はいすいヤジナケーマからの排水が流れ込ん戸だった。周囲に家はない。でいた。水量は少ない。現在、《カーの合把所》ごうLしょまつチョ一口ーヤマの合把所に把られている。11掘井戸曾-ウブミジ:産湯に使う水。く汲作汲ををでジふ腐、ブミU一旦一ブやニウ水らの3めカ戸北仲川こrb茶お一戸井ザhv-¥あ水晶ば市にす双旦の刻クいスれクきンタヤチ-ニーブ:ひしゃくんでいた。るのに向いていた。1mぐらいのつるべ縄があったが、める~~さだったので、《スーガー》ニーブで汲んでいた。|スミムンガー|屋号カーヌハタクヮ-(jl[ヌ端小): 230の屋敷内にあった井戸。泥水がj留まっていたため、普段の飲み水や生活用水としては使われてどるぞいなかったが、造りは立派な井戸だった。泥染めに使う井戸だといごうしLょまつチョ一口ーヤマの合間所に杷られている。う言い伝えがあった。現在、橋自ハシダヮー[[※編注・位置不明確のため、地図上には記載していない]すいろかクシユバーから流れる水路に架かっていた橋。平たい石を置いた67

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