北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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;也沼. I~ト〉パイーグチの流れが終わるところにあった池。3m弱の滝のようになっていた。その周りはユパーになっていた。|ンマアミシグムイ|かみぞ屋号ミー:105の南側にあったクムイ。ケンドーに架かる溝のとこかち〈ろがクムイになっていて、家畜(馬・牛)に水浴びをさせていた。|クヮーデイーサーグムイ|チャタン(北谷)とチャタンヌメ一ヤードゥイ(北谷ヌ前屋取)ひあの境界にあったクムイ。昭和に入った頃には水は干上がっていて、そば手足を洗うぐらいの広さになっていた。クムイの側に、クヮーデイーサー(モモタマナ)の木があった。木のところにビジュルがあり、クヮーデイーサービジュルと呼ばれていた。1岩瀬|アラファヌシー|チャタンヌメ一ヤードゥイ(北谷ヌ前屋取)の西方向へ行った、海の中にあった岩07ノヅワチユッカナカヌシーへのウトウーシをする場戸庁だった。旧暦5月4日にはチャタン(北谷)の人みんなでシーに行き、子どもたちは肉をもおがらって食べていた。旧暦6月25日の綱引きのときに拝んでいた。現在のアラファヌシーは、昔の10分のlの大きさになっている。→北谷ヌ前屋取のアラファヌシ一、ナーカヌシーを見よ。|ナカヌシーI[※編注:P23 r戦時中の北谷ヌ前屋取」の地図に記載]まっチャタン(北谷)の浜の沖にあった岩。ヒヌカンが杷られている。うわダヮチユyカおがウマチーと旧暦5月4日に拝みに行っていた。現在も拝みが行なわれている。→北谷ヌ前屋取のナーカヌシーを見よ。|マタジヌシーグヮー|ごがんマタジのところにあった岩礁。1mぐらいの高さがあった護岸よりもさらに高かった。1魚垣⑮ lイーマガチ|話者によると、場所ははっきりわからないが、イジャイをよくす66 -ユパー:泥が深い田んぼ。-クムイ:池。沼。-ピジュル:霊石として杷られる石。-ウトウーシ:遥拝。-シー:岩。《ユッカヌヒーの拝み》-イジヤイ:いさり。火を使う、夜の漁。

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