北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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|イーグチ|イーグチガーラとも言う。タメーシ(玉代勢)のチブガーから流れてくる川。川幅は2mぐらいで、長さは20mぐらいだった。流れの途中にンマアミシグムイがあった。水が溜まっていた。→玉代勢のイー夕、チガーラ、チブガーを見よ。|シルヒージャー|チャタングスクの北側を流れる川。ウアンダの方から流れてきていた。ケンドーから下流はチャタンガーラと言う。シガイガーラと言う部分もある。川の流れるあたり一帯を指すハルナーでもある。ずけらんせんたくはいすいおせん戦後直後に、キャンプ瑞慶覧からの洗濯排水で浜が持染されるという問題が起きたため、排水を沖に流すためのパイプがシルヒーこわジャーの南側につくられた。現在、そのパイプは壊されている。しらひがわ現在の白比川|のことである。→伝道のシガイガーラを見よ。i丘陵lチャタングスク|北谷城。集落の北側に広がる標高40mぐらいのE陵である。おおかわじようグスクとも言う。話者によると、学校では「大川城Jと教えられ、クルマボーで戦ったという話などを聞いたと言う。チャタングスク内にはアガリウタキ、イリウタキ、トゥン、ジューサンウコール、カニマンウファ力、グスクヒヌカンといった多くの拝所がある。現在はフナウクイモーの拝所も設けられている。拝所の中でも、特にイリウタキとクスクヒヌカンは聖域とされ、屋号ヌンドゥルチの家人だけしか入ることができなかった。イリウタキとグスクヒヌカン以外の場所は自由に立ち入りできたので、個人で畑を作ったり、子どもが遊びに入ったりしていた。上の方にはシークワーサー(ヒラミレモン)やパンシルー(グアパ)などがたくさん生えていた。インギーマー(ハリツルマサキ)やイチュビグヮー(いちご)などもあった。1 j 一、‘,一一シ一一十ン一一夕一一ヤ一一チ一屋号クンミ(小嶺): 1と屋号カミリンドー(嘉昧伝道): 2のあたりから100mほど東の方角に行ったところの正陵を言う。ハツドーキの近くである。松が2~3本とソテツや雑木などが生えていた。チャタンシジーにのぼると、チャタン(北谷)やシナビ(砂ほうち辺)の浜が見えた。墓が3基、放置されている墓が1基あった。イ60 -ンマアミシグムイ:家畜(馬・牛)に水浴びをさせる場所。-ウフンダ:中城村(現-北中城村)にあった大平屋取。-キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター):沖縄本島中部にある米海兵隊墓地。-クルマボー:殻竿。麦や豆などの脱穀用具。モヲF一ーーーも《グスク火の神》-イビ墓・神の墓。

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