北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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サーターグミ(砂糖組)サトウキビの生産と製糖は、戦前の北谷町域住民の生活の中心にあった。各集落には必ずーっ以上のサーターヤー(製糖作業を行なう小屋と広場)があった。年中行事のなかでもいちばん楽しみにされたニングヮチャーは、製糖作業の終わり頃に行なわれる行事で、クスックィ一、クシユクイなどの別名でもわかるとおり、年間を通したサトウキビ生産を終えたあとの慰労の宴でもあった。そのサトウキビ生産のなかでも、製糖作業は人手のかかる大変な作業だった。サーターグルマという大がかりな装置を使って大量のサトウキビを絞り、その絞り汁をサーターヤーの大鍋で何時間、何日もかけて煮詰めて精製していく。設備も人手も必要になるので、多くの場合は、数軒、あるいは集落全体など、複数の家庭で協力して製糖作業を行なった。そのような、製糖作業で協力しあう集団単位は、サーターグミと呼ばれていた。サーターグミは、サーターヤーの近くに家や畑がある家庭で構成される場合と、親戚や門中など血縁関係のある家庭で構成される場合があった。今回の地名調査では、サーターグミに関する聞取り調査は徹底できず、どの家庭がどのサーターグミに属したかという詳細な情報は、23集落のうちの限られた集落でしか間取りできなかった。詳しく間取りができた集落のうち、血縁関係を中心に組分けされている例としてタメーシ(玉代勢)を、近接する家庭で組分けされている例としてシナビ(砂辺)の2集落のサーターグミを挙げておく。タメーシ(玉代勢)には共同で使用されるサーターヤーが2つあり、サーターグミは、イーグミ(上組)とシチャグミ(下組)の2つに分かれていた。組分けはおもに血縁関係でなされているため、空間的に見た場合には、イーグミに属する家庭とシチャグミに属する家庭が入り交じっている。シナビ(砂辺)には共同で使用されるサーターヤーが3つあって、サーターグミは3つに分かれていた。組分けはシナビ(砂辺)の集落のなかの地域区画を基準に設定されていて、タメーシ(玉代勢)とは対照的に、空間的な区画でもって、どの家がどのサーターグミに属するかがはっきりと分かれていた。サーターグミごとの固有名称はないが、集落の南半分の区域にあたるメーチンジュとメーナカチンジュでひとつのサーターグミ、集落の北側にあるイリナカチンジュでひとつのサーターグミ、イリチンジュでひとつのサーターグミを構成していた。482

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