北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
48/504

個人のチンガーも何か所かあったが、ヒャーイになると1回れるので、イシンダヒージャーを利用していた。ヒャーイのときでもイシゎンダヒージャーの水は澗れずに、ずっと湧いていた。草刈り場の1つでもあった。旧暦2月2日のクスックィーのときには、アガリヤードゥイの人ずけらんたちがカーウガミをしていた。現在はキャンプ瑞慶覧内であるたおがめ、フテンマガーラ沿いに行って拝んでいる。終戦後も一時期利用していたが、現在ではコンクリートが張られれており、水量は少なくなっている。|フテンマヒージャー|ぎのわん現在の宜野湾スイミングスクールの向かいあたりにあった。下におりて行くと、ものすごい水量のフテンマヒージャーがあった。フテンマヒージャーの水を利用したユーフルヤーがあった。コイかユーフルヤーの余り水を利用して、たくさんの鯉を飼っていた。ふてんまおが普天間拝みをする人たちは、そこでいったん体を清めていた。lメーヌ力一|ずけらん戦前の瑞慶覧集落の南側にあったワク。そこから流れ出した水はイハガーと呼ばれる小)11になり、タメーシ(玉代勢)の方へと流れていった。ずけらん< Iまち現在はキャンプ瑞慶覧内である。このあたり一帯は窪地になっていたが、今は埋められて住宅地となっている。11掘井戸母|フシクブ|クシヤードゥイのサーターヤーの道をへだてて北側にあった共あさわ向井戸。浅いが、水はどんどん湧いていた。掘った井戸で、深さが2----3mぐらいだった。水がいっぱいのときにはニーブで汲めるほどだった。星が落ちて窪んだという言い伝えがある。クスックィーのときに拝む井戸である。仲間|フテンマバシ|がんじよう大正3(1914)年にできた橋。石橋で頑丈にできていた。橋から水面までは15----20mぐらいあった。夏場には、子どもたちが橋の上から飛び込んで泳いだりしていた。かとおケンドーに架かる橋で、パスも通れるぐらいの幅があった。44 -チンガー:つるべ井戸。・ヒャーイ:日照り。皐魅。-クスックィー:農繁期のあとにする骨休みの行事。・カーウガミ:井戸の神様を拝む。・キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター):沖縄本島中部にある米海兵隊基地。-ユーフルヤー:風呂屋。-普天間拝み:琉球八社のlつである普天間宮を拝むこと。人々の尊崇を集め、現在も参拝者が絶えない。-ワク:i;勇き水。-キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター):沖縄本島中部にある米海兵隊基地。-ニープ:ひしゃく。-クスックィー:農繁期のあとにする骨休みの行事。

元のページ  ../index.html#48

このブックを見る