北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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11トロッコ軌道1トロッコ1しずけらんおおケンドーに沿ってトロッコのレールが敷かれており、瑞慶覧から大やまの山駅まで、サトウキビを載せて運んでいた。3000斤(1800 ふてんまk g)のサトウキビを載せることができた。瑞慶覧から普天閉までかではのぼり坂だった。それから喜友名を通り、大山駅から鉄道で嘉手納の製糖工場へと運ばれていた。1林魯|マーチュー|イハガーの南側、屋号力ニクパルグヮー(兼久原小):20や屋号サずけらんチハマヌメー(崎浜ヌ前): 18の北側にあった松林。瑞慶覧に属する。台風が来たときには、松葉や枝が落ちるので、それを拾い集めに行っていた。土地は個人有地だが、落ちた松葉や枝は誰が取っても良いことになっていた。クシヤードゥイのサーターヤーの側にあったクムイ。正方形で、じ〈ぎつ10m 以上の長さがあり、サーターグルマの軸木を漬けられるぐらひでかいだった。深いところは1m超すぐらいあった。日照りでもj回れることはなく、年中水があった。家畜(馬・牛)に水浴びをさせる土岩戸庁だった。|マーマーグムイ|屋号シムカタの南側あたりにあった大きなクムイ。フテンマガーラの流れの中にあった。川幅の倍ぐらいに広がってクムイになっており、深さは2m以上あった。そぱクムイの側にはアカギが生えており、子どもたちはその木から飛ふてんまび込んで泳いでいた。遊ぶのにいい場所だったので、普天間の子どもたちと奪い合いをしながら遊んでいた。ド7.1<井戸圃|イシンダヒージャー|いしだたみみち屋号ヤマーアラカチ(ヤマ一新垣): 13あたりから石畳道があり、そこをおりて行ったところにあった。話者によると、その石畳道は現在も少し残っているのではないかと言う。イシンダヤードゥイ(石平屋取)は水が少なかったので、集落のせんたく人たちみんなで、飲み水や洗濯などに利用していた。43 -大山駅:沖縄県営鉄道嘉手納線の駅のlつ。圃嘉手納製糖工場・沖縄製糖株式会社の嘉手納工場のこと。明治45(1912)年創業。《間取り調査風景》-クムイ:池。沼。・サーターグルマ:サトウキピを圧搾する装置。

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