北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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番号方言表記漢字表記屋根備考28 メーヌミドゥルマ前ヌ目取真瓦共同使用の水タンクがあった。大きなうちで、教育委員会で保存している。建築年代は1890年、明治23年頃。平成5年まで住居として使い続けられたが、家屋建て直しをきっかけに、北谷町が費用を負担して解体する条件で、家に使われていた資材がそっくり寄付された。29 クシヌミドゥルマ後ヌ目取真瓦井戸と水タンクがあった。井戸は深さ1m40~50cm。家の敷地内ではなく、ちょっと東側にあった。30 イリトーヤマ西当山井戸、水タンクがあった。井戸の深さ4~5mで、早越には澗れる。31 ウフナーザトゥ大宮里瓦水タンクがあった。大きなうち。20~ 30坪ぐらい。32 ナーザトゥグワー宮里小瓦共同使用の水タンクがあった。大きなうち。20~ 30 坪ぐらい。33 ナパーナカムラグワーナパー中村小商l苫。酒、雑貨、日用品を売っていた。34 カマーナカムラグワーカマー中村小35 ハンジャンカナーハンジャンカナーナカムラグワー(中村小)ともいった。36 クシナーザトゥグワー後宮里小37 トーヤマグワー当山小38 ソーキチトーヤマグヮー宗吉当山小井戸があった。ニープガー(柄杓でくめる井戸)で、早魁だと澗れる。39 イーヌ卜ーヤマグワー上ヌ当山小40 サンラートーヤマグヮー三良当山小41 マチュートーヤマグワーマチュー当山小42 イーヌミドゥルマグワー上ヌ目取真小井戸があった。深さ1mぐらいのニープガー(柄杓でくめる井戸)で、早魅だと澗れる。43 タルーミドゥルマタル一目取真44 へンナグワーへンナ小45 チュンナーグワーチュンナー小商1吉。日用品、米などを売っていた。馬車で那覇から品物を仕入れていた。井戸があった。深さは2mぐらい。皐魁には洞れる。46 ウサーミドゥルマウサ一目取真47 サクマ佐久間農業と兼業で山番をしていた。謝苅屋取の組やサーター組には入っていない。48 アラタ新田農業と兼業で山番をしていた。謝苅屋取の組やサーター組には入っていない。49 サクマ佐久間農業と兼業で山番をしていた。謝苅屋取の組やサータ一組には入っていない。47,48、49の家のあるあたりは山林の中で、昼でも怖いぐらい、松がしげっていた。457

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