北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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番号方言表記漢字表記屋根備考164 タケータケー165 ナーファヤー那覇屋瓦166 ミーヤーイリー新屋伊礼167 ウフタケーシ大高江洲(貸家)貸家。ウフタケーシ(大高江洲)の屋敷だったが、家族は住んでおらず、貸家として使われていた。168 ミーダムイグワー梅田森小169 クシタケーシ後高江洲170 ナカミーダムイ中梅田森171 クシミーダムイ後梅田森瓦戸主は教員をしていて、退職した後は、シンシースー(砂糖の樽に貼る証明書)を書く仕事をしていた。172 カーラヤー瓦屋瓦173 ナーカ名嘉ウフナーカ(大名嘉)、あるいはシェークナーカ(細工名嘉)ともいった。大工をしていた。174 イーダ栄田山内から移住。175 ナカビグワーナカビ小176 スントーイリペーチン村頭西ペーチン瓦177 クシヤマガー後山川(空家)空家。クシヤマガー(後山川)の屋敷があった。178 (廃屋)屋敷跡。グシチャーマチャーという人が住んでいたが、昭和13年頃には住む人がいなくなり、廃屋になっていたと思う。179 ウチマ内問180 アラカチグワー新垣小玉代勢出身の人で、のちに玉代勢に戻った。新垣小が引っ越した後、家はドーギーイージグワー(道義上江洲小)が購入した。181 シェークーカナグシク細工金城石工で、ブール(沖縄式便所)づくりを専門にしていた。182 (貸家)屋号ではないが、ムジチュータンメーという呼び名があった。首里から移住してきた老夫婦が家を借りて隠居生活をしていた。特に仕事を持っていなかったため、無禄という意味のムジチューとあだ名がついた。アカバナーの生け垣があった。183 (貸家)水質の良い井戸があった。184 イリぺーチン西ぺーチンイリペーチングワー(西ベーチン小)ともいった。185 チチンミチチンミ186 クラニー蔵根(貸家)貸家。クラニー(蔵根)の一家は南洋に移民していたが、屋敷跡は残っていて、離れが貸し犀に使われていた。187 イリナーカグワー西名嘉小離れが瓦葺きで、母屋はカヤ葺き。北玉小学校の教員などに貸し出していた。188 ナーカ名嘉瓦ナピーナーカグヮー(ナピー名嘉小)、あるいはガッコーヌメーナーカ(学校ヌ前名嘉)ともいった。189 マージャ真喜屋190 ティーラグワー照屋小瓦商底。191:大村と一つの敷地にあった。191 オームラ大村190 :照屋小と一つの敷地にあった。県道から奥側。435

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