北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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おわりに『北谷町陸地地名調査』は、戦前の北谷町域にあった陸地上の地名を主な対象とした調査事業である。調査リストに挙げていた地名はのべ1901項目、そのうち、発音や意昧、位置などを確認できた地名としてこの報告書に記載した地名は1111語であるoこの調査をはじめた当初はハルナーと呼ばれる、ある一定の地域をさす方言語藁を調査するつもりでいた。しかし、調査をはじめると、ハルナ一以外にもたくさんの地名が、すでに失なわれたり、失なわれつつある地名として飛び出してきた。そこで、ハルナーだけでなく、北谷町域内にあるすべての地名を調査対象にすることにした。ところで、地名が消滅していくのには大きく二つの側面があって、ひとつは方言そのものが使われなくなったり、日本語の影響を受けて発音や意昧に揺れが出たりするという言語的な要因、もうひとつは、ある地名がつけられていた景観が消滅していたり、あるいは大きく変容していたりするという物理的な要因である。北谷町で地名を調査する場合にも、消滅しつつある北谷方言の一部として地名の発音や意昧を聞いて書き留めておくことと同時に、言語や風景が急激な変化にさらされる以前の北谷町の風景や、そこに暮らす人々の空間認識や暮らしぶりも記録する必要があった。そこで、地名の示す場所を比定したり、発音や意味を記録することに加え、その地名の示す場所が生活にどう関わっていたのかを重視して聞取りを行なうことにした。また、「大正頃から沖縄戦直前までに使われていた地名」というふうに時期を限定し、話者の持つ何十年分もの土地と生活の記憶のなかから的を絞ってお話を伺うことにした。このように方針を定めていくなかで、この調査を、単に聞取り資料を集めるだけの行為で終わらせてはならないという意識も生まれた。今回の調査結果は、いま北谷町域に暮らす人々が自分たちの生活空間に対する理解を深めようとするときに、北谷町域という土地がかつてはどのような姿であったか、この土地での生活がどのようであったかということを、すぐに思い描けるようなかたちにまとめなければならない。このようなことを念頭におきながら、調査と資料整理を続けた。それにしても、調査も資料整理も試行錯誤の連続だった。作業が進めば進むほどさまざまな課題が見えてきたが、時間や作業量におされて、多くを見過ごさざるを得なかった。残された課題の筆頭としては、今回の調査では対象から外した戦後の地名の調査・記録保存作業がある。戦後から現在までの60年のあいだに、はやくも消えてしまった地名や、やがて消えていくだろう地名がたくさんある。戦前の地名と違い、戦後の地名の多くは文字記録として残されているが、間取りによる資料収集ももちろん必要になるだろう。また、今回の調査でもっとも足りなかったのは、集落の社会的環境についての聞取りである。特に各屋取集落の成立や性格、また各集落のなかでの、より小さな集団区分である「クミJrサーターグミJrヤードゥイ」などの成立過程や性格についての情報が不足している。これらの集落内での集団区分の名称や、区分の仕方や、その成立過程というのは、各集落の生活様式や空間的な認識と密接に関係しているのだが、調査員自身の勉強不足もあり、十分な聞取りをなしえなかった。他に大きな課題として、今回の調査で得られた地名の言語学的な分析がある。本報告書においても、地名ひとつひとつの意昧やことばとしての歴史について、なんらかの考察を423

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