北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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89田名嘉地原(タナカジパル)方言語形はタナカジ〈平安μ|ヌ上屋取、下勢頭屋取〉。石一つないマージで、非常に良い土地だった。90東久間作原(アガリクマサクバル)土質マージ利用畑地、宅地作物土質方言語形はアガリクマサク〈喜友名小屋取〉。北側にクマジャクという谷附があったロ利用畑地イリクマサクの東側のハル。作物サトウキピ、競菜など91下勢頭原(シチャシードゥバル)方言語形はシチャシードゥパル〈喜友名小屋取、下勢頭屋取〉。シチャシードゥヤードゥイ(下勢頭屋取)の中心地であるウチヤードゥイの家屋敷が広がっていた。92浜川|上勢頭原(ハマガーウィシードゥバル)方言語形はハマガーウィーシードゥパル〈下勢頭屋取〉。地籍字砂辺74村内原(ムラウチパル)方言語形はムラウチ〈砂辺〉。シナピ(砂辺)の家屋敷が集まっていたー幣。75大道原(ウフドーバル)土質利用畑地、宅地作物質用物土利作土質利用宅地、畑地作物芋、サトウキビ土質マージ、アカマチクー方言語形はウフドーバル〈砂辺ヌ前屋取〉、ウブドー〈砂辺〉。水たまりが多かった。利用宅地、畑地芋がよくできる、上質の畑だった。作物芋、サトウキピ、大豆、麦、キピ、野菜76差久原(サークバル)方言語形はサークパル〈砂辺〉。やや勾配があり、周りのハルより少し標高が高めの地域だった。昭和初期の一時期、テッポウユリの栽培も行われていた。77加志原(力一シバル)方言語形は力一シパル〈砂辺ヌ前屋取、砂辺〉。カーシヌシーという岩山があった。シナピ(砂辺)では、戦前はキシャミチから東側をカーシパルと言っていた。78後原(クシバル)方言語形はクシバル〈喜友名小屋取、砂辺〉。クシムイの北側一帯。シナピ(砂辺)では、戦前はキシヤミチの西側の一部地域も含めてクシパルと呼んでいた。79兼久原(力ニクバル)土質アカマチクー利用畑地、墓地作物芋、サトウキビ、大根、百合土質利用畑地、墓地、茅野作物芋、サトウキビ、豆類土質ジンニ利用畑地作物芋、サトウキビ、大豆、キピ、粟など土質砂地方言語形はカニクパル〈砂辺〉。力ニクパルの範囲は、戦前、ナガパーマと呼ばれて利用畑地いた地域とほぼ一致している。作物落花生、そら豆、スイ力、サトウキビなど地籍宇野里93大道原(ウフドーバル)方言語形はウフドーパル〈下勢頭屋取〉。413 質用物土利作

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