北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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68大作原(ウフサクバル)土質フェージャー方言語形はウフサクパル〈伊礼〉。ウフサク一帯は山と谷が入り組んだ地形だった。谷底に畑地や水聞があったが、80 ~再は山林だった。土質が悪く、耕作に向いていない土地だった。利用山林、畑地、水田作物サトウキビ、米69赤道原(アカミチパル)土質赤土方言語形はアカミチーパル〈平安山〉、アカミチー〈平安山ヌ上屋取、下勢頭屋取〉。利用畑地、宅地、山林この一帯は赤土が広がっていた。耕作には向いていなかった。この一帯に広がる作物家々はまとめてアカミチーシンカとも呼ばれていた。80平安山中勢頭原(ハンジャンナカシードゥバル)土質方言語形はナカシードウパル〈上勢頭屋取〉。利用作物81平安山上油原(ハンジャンウィアンダバjレ)方言語形はアンダパル〈上勢頭屋取〉。質用物土利作82平安山下油原(ハンジャンシチャアンダバル)方言語形はアンダパル〈上勢頭屋取〉。質用物土利作83平安山上勢頭原(ハンジャンイーシードゥバル)方言語形はウィーシードゥパル〈上勢頭屋取〉。質用物土利作87平安山伊森原(ハンジャンイームイバル)方言語形はイームイグヮ一、イリムイ〈上勢頭屋取〉。質用物土利作88平安山下勢頭原(ハンジャンシチャシードゥバル)土質赤土方言語形はシチヤシードウバル〈下勢頭屋取〉。シチヤシードウヤードウイ(下勢頭利用畑地、宅地屋取)のイチク之(1組)の家屋敷が集まっていた。作物地籍字浜川70千原(シンパル)土質砂地、アカマチクー方言語形はシンパル〈浜川、砂辺ヌ前屋取〉、ハマガーシンパル〈平安山ヌ上屋取〉。利用畑地、宅地シンパル一帯は土が浅く、おもに芋が生産されていて、良質の芋ができた。作物芋、サトウキビ、キピ、豆類、百合71平安山上原(ハンジャンウィーバル)土質アカマージに似た土質方言語形はハンジャニーパル〈浜111)、ハンジヤヌウィーパル〈平安山ヌ上屋取〉。ハ利用ンジャヌウィ一ヤードゥイ(平安山ヌ上屋取)の家屋敷が広がっていた。砂と土が作物混ざったようなアカマージに似た土質で、良質の芋ができた。畑地、宅地芋、サトウキピ、大豆72クンデ原(クンディバル)方言語形はクンディパル〈平安山ヌ上屋取〉。クンディヌシーという岩山があった。この一帯は上質な畑だった。土質利用畑地作物73西久間作原(イリクマサクバル)土質フエージャー方言語形はイリクマサク〈喜友名小屋取〉。北側にクマジャクという谷間がある。利用畑地、宅地フェージャーブックワイという水を多く含んだ土地で、芋作りには適さず、おもに作物サトウキビサトウキピを作っていた。412

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