北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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48見嘉作原(ミカサクパル)方言語形はξカサクパル、ミカザク〈桑江〉。マージとジャーガルが入り混じっていた。クェー(桑江)の話者は、この付近がクェー(桑江)集落の発祥地と聞いたことがあり、昭和初期頃までは石垣や屋敷跡のようなものも残っていたという。土質マージ、ジャーガル利用山林、水田、畑地作物米49奈留川原(ナルカーパjレ)土質間取り情報なし。利用作物50御殿地原(ウドゥンジバル)土質調査では方言語形が確認できなかった。ウドゥンジヤードウイと呼ばれる15軒く利用山林らいの小集落があった。クェー(桑江)の話者によればクェー(桑江)の人の畑は作物なかったが、山林は持っていたかもしれないという。引峡原(ハサマバル)方言語形はハサマバル〈桑江〉。52嘉良川原(カラガーバル)方言語形はユヒングヮーヌハタ〈桑江〉、ユヒングワーヌメー〈崎門屋取〉。力ラガーパルという名前は聞いたことがないという。53桃原(卜ーバル)間取り情報なしo54栄口原(イーグチバル)方言語形はイーグチバル〈桑江、崎門屋取〉。現在の栄口区。55宇久殿原(ウクドゥンバル)方言語形はウクルンバル〈桑江、崎門屋取、謝苅屋取〉。ウクルンカーラグワーが流れていた。この一橋は山林が多く、山番がいた。また、ニンプチャーの家が一軒あった。56上樋川原(イーヒジャーバル)方言語形はイーヒージャーパル、ヒージャーパル〈桑江〉。イーヒージャーという湧き水があった。イーヒージャーからの水を利用して、一部に水田もつくられていた。山番が住んでいた。57伊地差久原(イチジャクバル)方言語形はイチジャク〈桑江〉。58前原(メーパル)土質イーフ混じりの土利用畑地作物芋、サトウキピ質用物土利作質用物土利作土質フェージャー利用山林、畑地作物芋土質ジャーガル、フェージャー利用山林、畑地作物芋土質フェージャー利用畑地、水田作物米土質ジャーガル利用山林、畑地作物芋、サトウキビ土質砂地方言語形はメーパル、メン女ーパル〈桑江〉。クェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋利用畑地取)の話者によれば、メーハルというハルナーは聞いたことがないという。59長崎原(ナガサチバル)調査では方言語形が確認できなかった。名前の由来も不明。作物落花生土質粘土質の固い土利用作物410

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