北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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地籍字北谷1 安良波原(アラハバル)方言語形はアラハパル〈北谷ヌ前屋取〉。質用物土利作2 佐阿天原(サーティンバル)土質ジャーガル、砂地チヤタンヌメ一ヤードウイ(北谷ヌ前屋取)の話者によれば、戦前はサーテンパル、利用畑地サーティンパルのような呼び名は使っていなかったという。海治いは砂地だった。作物3 安仁屋原(アンニャバル)土質ジャーガル方言語形は確認できなかった。タードーシが多かった。チヤギーがたくさんあった。利用水田、畑地作物米、芋、サトウキピ、豆、競菜4 土々小堀原(ドゥルクムイバル、ルルクムイバル)方言語形はドゥルグムイ〈北谷〉。土質ジャーガル利用畑地作物サトウキビ5 内佐阿天原(ウチサーティンパル)土質チャタンヌメ一ヤードゥイ(北谷ヌ前屋取)の話者によれば、戦前はサーテンパル、利用サーティンパルのような呼び名は使っていなかったという。作物6 稲千原(ンニフシバル)方言語形はンニフスー〈北谷ヌ前屋取〉。土質ジャーガル、マージ利用畑地、墓地作物7 石平原(イシンダバル、イシンラパル)土質マージ方言語形はイシンダパル〈石平屋取〉。イシンダヤードウイ(石平屋取)の集落が広利用畑地、宅地がっていた。作物サトウキピ、芋8 横嵩原(ユクタキバル)方言語形はユクタキパル〈北谷ヌ前屋取〉、ヨコタケバル〈石平屋取〉。名前の由来は不明。土質マージ利用畑地作物サトウキピ、芋9 伊波川原(イハガーバル)土質マージ方言語形はイハガーバル〈石平屋取、玉代勢〉。イハガーという小)11が流れていた。利用原野、畑地作物芋10北谷原(チャタンバル)土質調査では方言語形が確認できなかった。チャタン(北谷)の家屋敷が広がっていた。利用宅地作物11西前田原(イリメンターパル)土質ジャーガル方言語形はメンター〈北谷ヌ前屋取〉、イリメンタ〈北谷〉、メンターグワー〈北谷〉。利用水田、宅地チャタン(北谷)の家屋敷が広がっている一帯の南側。アガリメンタとイリメンタ作物米を合わせた一帯をメンターと呼んでいた。12西表原(イリムティバル)土質方言語形はイリムティパル〈北谷〉。チャタン(北谷)の家屋敷の広がっている一帯利用水田、畑地の西側。海岸近くまで田んぼが広がっていた。キシャミチより東側にはサトウキピ作物米、サトウキピの畑もあった。406

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