北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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①沖縄戦以前の地籍字②昭和24(1949)年の地籍字申・』ちせきあざ上の図は、沖縄戦以前と、沖縄戦後再編された地籍字の違いを示したものである。戦前ぎよヲせいあざきたまえたまがみとうばるしもせどかみせどは行政字のなかに名前が出ていた北前、玉上、桃原、下勢頭、上勢頭が、地籍字として編成されている。なお、字玉上は、戦前の行政字玉上は「たまうえ」と読まれていたようで、戦後、地籍字になってからは「たまがみ」と読まれている。おおむらよしはらいへい字大村、吉原、伊平は、戦後の字再編によって新設され、名前がつけられた。字大村はでんどうたまよせくわえ戦前の字伝道の一部と字玉代勢の一部、字吉原は戦前の字伝道と桑江の一部、字伊平は戦いれいはんさーん前の字伊礼と字平安山の一部が合併して新設された。平成17 (2005)年現在、北谷町域の土地区画は2 1区画ある。昭和24 (1949)年と比べて増加したのは、埋立地に新設された字や、埋立地隣接区域の区画整理で再編された字である。字北前の海岸沿いの一部は北前1丁目、字北谷の海岸沿いは北谷1丁目.2丁目となった。また、字桑1工・伊みはま平の海岸沿いと、その沖の埋立地は宇美浜と美浜1丁目~3丁目、浜川漁港のあるあたりは字港、みやぎ字浜川|と字砂辺沖の埋立地は字宮城と名づけられた。埋立地の字名には、美浜や港など、まったく新しく作られた名称があらわれるが、これらの名称は、方言的な要素や伝統的な地名との関連が薄く、非常に日本語の地名らしい響きを持っている。403

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