北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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かでな現在は嘉手納基地内で、空き地となっている。話者によると、地下は石であるために杭が打てず、そこに家は作れないと言う。|アシビナー|ウチヤードゥイの北側にある広場。明治19 (1886)年頃から、この広場でアザアシビをするようになった。南側にはアシビナーヌそばウガンジュがあり、その側に舞台を作って芝居などをしていた。その後アザアシビは、昭和2(1927)年頃にアシビナーからジムスへと場所を移して続けられた。|ムンチャリナー|屋号シチャヌハナグシク(下ヌ花城): 96のところ、グンドーをはさんだ南側にあった。200坪以上の広さがあった。豆や、製糖期に出るウージガラを干したりする場所だった。農閑期には子どもたちの遊び場所となり、ムートウトウエーなどをして遊んでいた。また、綱引きの後に、沖縄相撲をする場所でもあった。マーイサーが大127斤(76.2kg)・中55斤(33kg)・小3 0斤(18kg)の3つあった。|ムンチャリナ-1屋号ンートーチュンナー(武戸喜友名): 75のところにあった。100坪ぐらいの広さがあった。ガンを納めておく小屋。ウカマジーの東側で、シチャバルクマワーとの間にあった。i亀甲墓閏aクバガーヌハ力|ウィーシードゥヤードゥイ(上勢頭屋取)の屋号クパガー(久場そくりょうきちょう) 11)のカーミナクーパ力。測量の基準となる貴重な墓である。この墓からウィーシードゥヤードゥイ(上勢頭屋取)となる。かでなげんそん現在は嘉手納基地内である。現存している。A回目標-M一期一W一そば屋号アカミチチユンナー(赤道喜友名): 42の屋敷の側にあった。2mぐらいの盛土の上に、幅30c m、厚み7~8cmぐらいの平395 -嘉手納墓地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。-アザ:下勢頭屋取で言うアザ(字)は集落の意味。・アシビ・歌・三味線・踊りなどを楽しむこと。また、村芝居・祭りなど、仕事を休んで行なう演芸・娯楽。-ウージガラ:サトウキビの絞り殻。・ムートウトウエー:子どもの遊び。プロレスごっこのようなもの。-マーイサー:集落の広場などに置いである大小の堅い、丸い石。青年たちが力試しをする。《現地調査・嘉手納基地内》-カーミナクーパカ.屋根が亀の甲のような形をした墓。・嘉手納基地:沖縄本鳥中部にある極東最大の米空軍基地。《クパガーヌハカ》

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