北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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|トゥクガーシー|アカミチーカジマヤーから南へ向かい、ウフサクビラを下ったところにあった岩山。ふうそう風葬地帯でもあった。昭和20 (1945)年3月頃、米軍の攻撃が激しくなり、力ンシショーでの業務ができなくなった。そのため、トゥクガーシーの自かんしLょう然壕に監視哨業務を移した。かでなこくたい現在は嘉手納基地内である。国体道路から国道58号線に向けて、右手にあるイーグルロッジと山の上のタイチョーヤーとの間にあるシーである。→浜川の力ンシショーを見よ。ト書|メーヌマーチュー|メーヌカーの北東側にあった松林。メーヌマーチューグワーとも言う。周囲は畑で、このメーヌマーチューのところは、サトウキビの枯れ葉を積むところだった。ファーガラマジミドゥクルと言う。土地はやせていたが、ナーパ(キノコ)を探したり、子どもたちの遊び場所でもあった。また、ネコが死んだときに吊るす場所でもあった。イニンビーもよく出た。かでな現在は嘉手納基地内である。戦前はたくさんの松があったが、7~8本が残っているだけとなった。1丘魯グーフ|アシビナージーの西側にあった。周辺はイシャーラ畑だった。シチャバルク♂ワーの人たちは、グーフでフナウクイをしていた。ぁ戦後、米軍がイシグーを取ったため、現在は穴が聞いている。1池沼. lウチグムイ|9か所ある拝所の1つ。ナーカヌクムイとも言う。屋号サンドゥーテーラ(三良平良): 87の南側にあった大きなクムイ。11掘井戸⑨ |メーヌ力一|9か所ある拝所の1つ。集落の真ん中あたりで、ウシモーの北東側にある。南側に住んでいる人はクシヌカーと言うこともある。7~8尋(1O. 5 ~ 12m)の深さだった。387 -監視哨:敵の動きを監視するところ。-嘉手納基地:jcl'j滝本島中部にある極東最大の米空軍基地。《メーヌマーチユー》・ファーガラマジミドゥクル落葉を積むところ。・嘉手納基地:沖縄本島中部にある極東最大の米空軍基地。・ネコの死骸を葬るときに木の枝に吊るす習俗が沖縄各地にみられ、そうするとイヒけネコにならずに成仏すると言う。・ィニンビー:ひとだま。死者の遺念が火となって現れるとされるもの。-イシヤーラ-土に石ころが混ざった土地。イサーラとも言う。・フナウクイ:見はらしのいい場所から、旅に出る人の安全を願い、船を見送ること。・イシグーさんご礁などを砕いた細かい砂利。-クムイ:池。沼。《メーヌカー》

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