北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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|アカミチーヌフィラ|ちゃたんこくみんアカミチヌヒラグワ一、アカミチービラとも言う。北谷国民学校すやタカアブサーを過ぎたところから、屋号シターハナグシク(思太花城): 25の前までのグンドーを言う。ゆるやかな坂道であった。そすべの一帯は赤土で、雨が降るとよく滑った。→平安山ヌ上屋取のタカアブサーを見よ。i切り通しワイトゥイ|岩山を切り取った道。集落の南西側、屋号スイテーラグヮー(首とお里平良小): 11の前を通る道。トゥクガーに行く道で、馬一頭が通れるぐらいの道幅だった。i岩山フィラ力一ジー|ウチヤードゥイの東側に3つ並んでいたシ一。フィラカージーを境にして西側がシチャシードゥヤードゥイ(下勢頭屋取)、東側はウィーシードゥヤードゥイ(上勢頭屋取)になる。一番大きなシーをフィラ力一ジーと言うが、3つ並んだシーを総称してフィラ力一ジーと言うこともある。3つの中で、グンドー寄りのシーはタカジーと言い、真ん中のシーには特別の呼称はなかった。フィラ力一ジーの一番上のモーグワーで、時々フナウクイをしてなはよみたんざんぽみさきいた。船が那覇から出て、読谷残波岬に隠れるまで見えていた。普段はジムスの西側やグーフなどでフナウクイすることが多かった。また、集落内行事、特にアザアシビがあるときには、フィラカーかねヤマチムルンザトゥジーに上り、鉦をたたいて隣接の集落である山内、諸見里、ハンザ7ンノイクエージマヤーン(平安山)、ハマガー(浜)11)、イリ一(伊礼)、国直、桑江島屋取あたりまで呼びかける場所として利用した。|タカジー|ウチヤードゥイの東側に3つ並んでいたシーの中で、グンド一寄やりとがりで槍のように尖ったシー。タッチューとも言う。一番大きなシーはフィラカージーと言うが、3つ並んだシーを総称してフィラカージーと言うこともある。真ん中のシーには特別の呼称はないウィーシードゥヤードゥイ(上勢頭屋取)の人たちは、シー全体を総称してシードゥヌシーと言っていた。385 -北谷尋常高等小学校・明治35(1902)年に北谷尋常小学校と野国尋常小学校の二校が合併し、平安山ヌ上屋取に開校した。昭和16 (1941)年の「国民学校令Jにより、学校名が国民学校へと変わった。-シー・岩山。-モーグワー:原野。野原。原っぱ。・フナウクイ:見はらしのいい場所から、旅に出る人の安全を願い、船を見送ること。・アザ:下勢頭屋取で言うアザ(字)は集落の意昧。・アシビ.歌・三昧線・踊りなどを楽しむこと。また、村芝居・祭りなど、仕事を休んで行なう演芸・娯楽。-国直:現在の嘉手納町域にあった屋取集落。・桑江島屋取:国直の南側にあった屋取集落。・シー:岩山。

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