北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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|ウシモーミチ|ウシナーミチとも言う。毎日、集落から牛を引っ張って行く道。2か所あるうちの1つ。グンドー沿いの屋号ウフミチパタハナグシク(大道端花城): 103から南側へ向かい、ウシモーへ行く道である。lガッコーミチ|ちゃたん北谷国民学校前のグンドーからクンディヌシーの前を左に折れ、とおシチャバルグヮーを通りウィーヒングヮ一二シバルクーヮーとアシビナージーの聞を抜け、ヤガグヮ一ヤードゥイへと続く道。昭和8(1933)年頃、シチャバルグヮーからウスクドーヌカーラまで畑をつぶして、馬車道を作った。それ以前は、馬車の通れないせま1m幅ぐらいの狭い道であった。昭和12 (1937)年以降に、ウスクドーヌ力一ラからグンドーのシチャシードゥヤードゥイ(下勢頭屋取)とハンジャヌウィ一ヤードゥイ(平安山ヌ上屋取)の境まで罵車道となった。→平安山ヌ上屋取のクンディヌシーを見よ。lアシビナーミチ|グンドー沿いの屋号ミーテーラ(新平良): 106から北へ向かう道。アシビナージーへと続き、ウチヤードゥイを過ぎたあたりからワンドゥーに入る。この一帯は地形的に高いところに位置し、フィラ力一ジーとアシビナージーの間であるため、北風が強く吹く場所であった。大正3みちぷしん(1914)年生まれの人が13歳の頃に、アシビナーミチの道普請をしたと言う。1生活道lシチャバルクーヮーミチ|グンドーのアカミチーカジマヤ一、卜ゥンワタルーバシを過ぎ、屋号シチャヌカミーハナグシク(下ヌ亀花城): 53から北へ向かうとお道。シチャバルク。ワーの中を通り、チュンナーグヮ一ヤードゥイ(喜友名小屋取)へと続く。i坂道lウフサクビラ|アカミチーカジマヤーから南へ向かい、ウフサクに至る道の途中までを言う。屋号アカミチーチュンナー(赤道喜友名): 42から卜ウクガーへ行く坂道。急な坂なので、馬車に荷物を少ししか積むことができなかった。384 -北谷尋常高等小学校:明治35(1902)年に北谷尋常小学校と野園尋常小学校の二校が合併し、平安山ヌ上屋取に開校した。昭和16 (1941)年の「国民学校令」により、学校名が国民学校へと変わった。《現地調査・嘉手納基地内》

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